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エリトリア

エリトリアの地域情報について調査しています。エリトリア国は東アフリカの国です。エリトリアに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

エリトリア

位置

南はエチオピア、西はスーダン、南東はジブチと国境を接しています。エリトリアの北東部と東部には、紅海に沿って長い海岸線があります。

国土

約11.8万km2

首都(およその人口)

アスマラ(96万)

人口

およそ608万人

人種構成

55%ティグリニャ人、30%ティグレ人など

言語

ティグリニャ語、ベジャ語、ティグレ語、アラビア語など

宗教

キリスト教が63%、イスラム教が36%

文化

民族ごとに異なる多様な文化があります。

教育

6歳から13歳までの義務教育があります。

エリトリア近・現代史の概略

1890 イタリアがエリトリアの植民地化を宣言
1941 英国軍がエリトリアを占領
1949 英国はエリトリアを国連の信託統治領として管理
1952 国連総会の決定により、エリトリアはエチオピアとの連邦となる
1958 エリトリア解放戦線(ELF)が結成される
1962 エチオピアがエリトリアを併合
1967 本格的なゲリラ戦争
1970 エリトリア解放戦線(ELF)が分裂し、エリトリア人民解放戦線(EPLF)が結成される
1974 エチオピアが軍事クーデターで帝政廃止
1977-78 ソビエトがエチオピアを支援し、エリトリアのゲリラを後退させる
1982 エチオピアによる反政府勢力制圧のための大規模な軍事攻撃で多大な犠牲者発生
1991 エリトリア人民解放戦線がアスマラ(現エリトリアの首都)を占拠し、臨時政府樹立
1993 住民投票は圧倒的に独立を支持。エチオピアより独立
1998-2000 エリトリアとエチオピアの国境紛争で7万人死亡
2008 ジブチ軍とエリトリア軍の間で衝突
2009 国連がエリトリアに対し、ソマリアのイスラム教徒の反政府勢力に対する支援の疑いで制裁
2010 エリトリア、ジブチは国境紛争を平和的に解決することで合意
2018 エチオピアとの戦争状態の終了と外交関係再開。国連がエリトリアへの制裁を終了

政治

民主正義人民戦線が唯一の政党である、大統領制の共和国です。議会は一院制です。

一人当たりGDP

1,295ドル

経済

エチオピアとの戦争などで大きな打撃をうけましたが、近年急速に成長しています。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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