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レソト

レソトの地域情報について調査しています。レソト王国は南アフリカ共和国の国境内にある国です。レソトに進出するにあたり知っておくと良さそうな情報を特集していきます。

レソト

位置

バチカン市国やサンマリノと並んで、他国の領土に完全に囲まれた国のひとつです。

国土

約1.7万km2

首都(およその人口)

マセル(33万)

人口

およそ211万人

人種構成

99.7%バソト、 0.3%その他

言語

ソト語、 英語

宗教

92.3%キリスト教、 6.4%伝統信仰、 1.0%その他

文化

音楽や生活スタイル、住宅、服装など伝統文化が残されています。

教育

15歳以上の識字率は、女性が85%と男性が68%です。男性の識字率が女性よりも低めなのは、家畜放牧の労働力になっていて学校に行っていない男子児童がいるためと見られています。

レソト近・現代史の概略

1868 英国保護領になる
1871 ケープ植民地に併合
1884 ケープ植民地支配に対する反乱が頻発したため、英国はバストランド保護領を復活
1939-45 第二次世界大戦。2万人のソト族が英国軍として戦う
1966 レソト王国として独立
1970 野党バソトランド会議党が主導権を握るが、ジョナサン首相が憲法を一時停止し、国王を一時的に亡命させる。国王は帰国後、政治不関与を表明
1986 南アフリカが国境を封鎖し、反アパルトヘイト活動家の追放を要求。クーデターによりレカーニャ国軍司令官が政権掌握
1990 モショエショエ2世が英国に亡命。息子がレツィエ3世として宣誓
1991 クーデターによりレカーニャ追放。ラマエマ大佐が政権掌握
1993 下院総選挙でバソトランド会議党が政権を握る
1994 レツィエ3世が全閣僚と議会を解散、憲法を停止。国民は反発し、ゼネストや抗議デモ発生
1995 レツィエ3世退位。モショエショエ2世が王位に復帰
1996 モショエショエ2世が自動車事故で死亡。レツィエ3世が王として復活
1998 レソト民主党会議が総選挙に勝利し、パカリタモシリが首相に就任。野党による暴動。南アフリカ開発共同体(SADC)が秩序回復のために軍隊を派遣
2004 3年間の干ばつによる食糧不足で非常事態宣言。南アフリカに高地水を供給するレソト高地水プロジェクト始まる
2007 30年で最も深刻な干ばつによる非常事態宣言
2012 トーマスタバネが首相に就任
2014 国防軍による軍事行動。タバネ首相が南アフリカに逃亡
2015 選挙によりパカリタモシリが連立政権の首相に就任
2017 モシリ首相が選挙に敗れ、タバネ氏が政権に復帰。レソト国防軍の司令官が射殺される。多国籍治安部隊が配備される

政治

議会制の立憲君主国です。国王は主に儀式の役割を果たします。首相は政府の長です。議会は二院制です。

一人当たりGDP

1,413ドル

経済

経済的に南アフリカとリンクされています。水とダイヤモンドが主要な輸出品目です。農業、家畜、製造業、鉱業が主産業で、南部アフリカの経済動向に大きく依存しています。


アフリカ

南アフリカ、 エジプト、 ナイジェリア、 コンゴ民主共和国、 エチオピア、 ケニア、 タンザニア、 ウガンダ、 モザンビーク、 マダガスカル、 ザンビア、 マラウイ、 ジンバブエ、 ボツワナ、 ナミビア、 アンゴラ、 コートジボワール、 モロッコ、 カメルーン、 ガーナ、 ブルキナファソ、 コンゴ共和国、 ガボン、 中央アフリカ共和国、 チャド、 ニジェール、 マリ、 モーリタニア、 アルジェリア、 チュニジア、 リビア、 スーダン、 南スーダン、 ギニア、 セネガル、 エリトリア、 ジブチ、 ソマリア、 ルワンダ、 ブルンジ、 セーシェル、 コモロ、 モーリシャス、 エスワティニ、 レソト、 赤道ギニア、 サントメ・プリンシペ、 ベナン、 トーゴ、 リベリア、 シエラレオネ、 ギニアビサウ、 ガンビア、 カーボベルデ

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