三国志演義は明の時代、15世紀ごろに成立したとされる小説です。2~3世紀ごろの三国時代を舞台にしています。三国志演義は日本語にも翻訳され、広く読まれてきました。今でも三国志ファンは多く、また三国志演義を元にした映画、演劇、漫画やアニメなどもつくられています。そんな中で、現在日本語として普通に使われている言葉である「大丈夫」と「百姓」は、その三国志演義が日本に広まったことによって誤って意味が解釈された言葉である可能性があります。
「大丈夫」とは、日本では安心して良い、危なくない、無事、ケガなどが無い、元気だ、などといった意味でつかわれます。
ところが、中国語で「大丈夫」というと、一人前の男、大きくて立派な男性、ますらおのことをいいます。中国では、「大丈夫」を無事とか、安心して良いとかいった意味には使いません。
辞書を見ると、日本でも中国と同じ「立派な男」という意味て使うことがあるようですが、近年では「大丈夫」を「立派な男」という意味で使っているのは見ないような気がします。
「大丈夫」という言葉に「安心して良い」とか「無事」とかいった意味が出てきたのは、三国志演義の一節が原因かも知れません。
劉備が関羽の安否を心配したときに、部下が「関公は大丈夫です。そう簡単にやられたりしませんよ」と応える場面があります。
この部下の返事「関公は大丈夫です」の「大丈夫」は、もともとは「立派で強い男」という意味だったのでしょう。ところが、文脈から日本人は「立派な男」よりも「無事」とか「安心して良い」という意味だと解釈するようになったのではないでしょうか。
もうひとつ、「百姓」は、日本では農民を意味します。「ひゃくしょう」と読むと農民を意味し、「ひゃくせい」と読むと一般人を意味するそうです。
中国語では、「百姓」は人民、庶民、一般人を意味します。言葉の意味は「たくさんの姓を持つ人々」であって、日本語のような「農民」の意味はありません。
日本語で「百姓」が「農民」の意味を持つようになったのも、三国志演義が原因になっている可能性があります。
劉備は百姓に土地を与えたので、百姓はとても喜び、与えられた土地で作物をつくったとのくだりがあります。
劉備が徳の政治をしたことを強調する場面ですが、「百姓」が土地を与えられて作物をつくったことから、「百姓」のことを「農民」と解釈することになったのではないかと考えられます。
「大丈夫」と「百姓」は三国志演義での場面によって、もともとの中国語にはない日本独自の言葉の解釈が加わったのではないかと思います。
いずれにせよ、日本人は三国志演義大好きですよね。もしかしたら、中国人よりも日本人の方が三国志好きは多いかもしれません。