TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>10.これやこの 行(ゆ)くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関  蝉丸

10.これやこの 行(ゆ)くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関  蝉丸

小倉百人一首の十首目は蝉丸の歌です。蝉丸は謎の人物で、宇多天皇のころに宮中に仕えていたとか盲目で琵琶を弾いていたとかいわれますが、定かではなく実在した人物であったかどうかすらもわからないそうです。これは、逢坂の関を行きかう人々を詠んだ歌ですが、人生の出会いと別れを詠んだ歌だとも言われています。独特のリズム感覚と言葉の特徴的な使いまわしで人々の記憶に残りやすい歌です。

10.これやこの 行(ゆ)くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関  蝉丸

歌の解釈としてはおおよそ、「これがあの、京の都から下っていく人も、都へ帰る人も、知っている人も、知らない人も、出会っては別れる逢坂の関なのだなあ」です。これは逢坂の関(今の京都府と滋賀県の境にあった関所)で行きかう人々を見て詠んだ歌と解釈されます。多くの人々の中には知り合いもいれば、知らない人もいる、そんな多くの人々が通る関所の様子が、人生の出会いと別れを連想させるような気がしてきます。
蝉丸は盲目の僧侶であり、琵琶の名手だったとされています。琵琶奏者としての逸話が残されていますし、貧困のため物乞いをしていたとか、実は天皇の子であったとかの説がありますが、定かではありません。
目が見えなかったのであれば、蝉丸は逢坂の関の様子を目で見たのではなく、その賑わい、足音、人々の声を聴いて、この歌を詠んだと考えられます。目が見えない中でこのような歌を詠むことができた、蝉丸の想像力の豊かさを感じさせる一首です。
都会の雑踏や観光地など、人々が集まる場所に来たとき、ちょっと目を閉じて、耳を澄ませていろいろな音や声を聴いてみましょう。視覚情報をシャットアウトした状態で音に集中することで、違った感覚になることでしょう。そうすることで蝉丸の気持ちにちょっと近づくことができるかもしれません。
もしかしたら、蝉丸は逢坂の関に行ったことは無くて、全くの想像でこの歌を詠んだのかもしれませんね。逢坂の関は有名で多くの人々に詠まれた地ですが、その中でもこの歌は秀逸でその場の雰囲気と気持ちが伝わり、想像力をかきたててくれます。藤原定家が蝉丸のこの歌を百人一首の十首目に選んだのも納得です。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る