ホーム>文化>小倉百人一首について>13.筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋(こひ)ぞ積(つ)もりて 淵(ふち)となりぬる 陽成院
小倉百人一首の十三首目は陽成院の歌です。陽成院とは第五十七代である陽成天皇のことです。陽成天皇は、わずか九歳のときに清和天皇から譲位を受けており、十七歳という若さで病のため光孝天皇に譲位しています。この歌は、流れ落ちる川がだんだん深くなっていくように、だんだん深まっていく恋する気持ちを詠んだものとされています。筑波嶺は現在の茨城県にある筑波山のことです。
歌の解釈としてはおおよそ、「筑波山の峰から落ちてくる男女川(みなのがわ)の川底がだんだん深くなっていくように、私の恋もだんだん積もり積もって深くなってきた」です。これはだんだん深まっていく恋する気持ちを筑波山から流れ落ちてくる男女川にたとえて詠んだもので、陽成院が譲位後に妃の一人である光孝天皇の第三皇女である綏子内親王にあてて詠んだ歌だそうです。
陽成院は実際に筑波へ行ったことはないかもしれません。でも、筑波の男女川は昔からよく恋を題材にした歌に詠まれており、陽成院もそのことは良く知っていたのでしょう。
陽成院の若すぎる譲位については、宮中での殺人事件に関わって退位を迫られたとする説や、藤原氏の陰謀で譲位させられたとする説があります。そんな不穏な話とは関わりなくこの歌は陽成院の一途な恋心を思わせる、好感の持てる歌ですね。
藤原定家は陽成院のこの歌を百人一首の十三首目に選びました。定家はこの歌の純粋な恋心が好きだったのかもしれません。とりわけ、綏子内親王にあてて詠んだ歌だというところが、定家が気に入った決め手になったのではないかとも言われています。