ホーム>文化>小倉百人一首について>16.立ち別れ 因幡(いなば)の山の 峰に生(お)ふる まつとし聞かば 今帰(かへ)り来(こ)む 中納言行平
小倉百人一首の十六首目は中納言行平こと在原行平の歌です。行平は阿保親王の子でしたが、臣籍に降下し兄弟と共に在原朝臣の姓を賜ります。あの在原業平の兄、と言った方がわかりやすいかもしれません。これは、行平が因幡守に任ぜられて赴任地に赴く際に詠んだ別れの歌とされています。「待っていると聞いたら今すぐにでも帰ってくるよ」と詠まれていることで、別れた人や動物とすぐに再開できるようにと願掛けをする歌としても有名です。
歌の解釈としてはおおよそ、「今はお別れして因幡の国に行ってしまいますが、因幡山の峰に生えている松のように、みなさんが『待つ』と聞いたとしたらすぐに帰ってきましょう。」です。『松』と『待つ』をかけるなど、技巧的にも優れた歌とされています。これは因幡国に赴任することになった行平が、「どうせすぐに帰ってくるよ」とまわりを安心させるように詠んだ歌です。実際、行平は赴任2年余りで京に戻っていますし、その後は中納言まで昇進しています。
地方に赴任といえば、左遷を連想させます。実際、赴任が決まった際の別れの歌となるとさみしくなりがちですが、この歌は明るい感じの歌になっていますね。行平の前向きな性格が表れている歌といってもいいかもしれません。彼自身、大きな罪を犯して左遷されたわけでもないので、すぐに戻ってこれるという自信があったのかもしれませんね。
昨今ではこの歌を唱えれば「別れてもすぐに会える」として、別れた人や動物とすぐに再開できるようにと願掛けをする歌として有名になっているようです。犬や猫がいなくなったとき、あるいは別れた恋人と再開したいとき、この歌を口ずさんでみてはいかがでしょうか。
藤原定家は在原行平のこの歌を百人一首の十六首目に選びました。地方赴任が決まった別れの場面なのに行平の前向きな性格がにじみ出ていて明るさを感じさせるこの歌は、現代では別れた人との再会を願う願掛けの歌としても有名になりました。定家はこの歌をどんな思いで百人一首に選んだのでしょうか。彼自身の意見を直接聞いてみたい気がします。もしかしたら藤原定家本人にも別れてさみしい人、待ち焦がれている人がいて、今すぐにも再会したいという願いを込めて、願掛けの意味でこの歌を百人一首に選んだのかもしれません。