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18.住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通(かよ)ひ路(ぢ) 人めよくらむ  藤原敏行朝臣

小倉百人一首の十八首目は藤原敏行朝臣の歌です。藤原敏行は三十六歌仙の一人で、陸奥出羽の按察使・藤原富士麻呂の子とされています。第五十六代の清和天皇から第六十代の醍醐天皇までの長い間宮廷に仕え、また書の達人といわれていますが、生没年は定かでなく謎の多い人です。この歌は、あなたは人目を気にして逢ってくれないのか、夢の中でくらい逢ってほしいと、恋い焦がれる相手への思いを詠んだものです。

18.住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通(かよ)ひ路(ぢ) 人めよくらむ  藤原敏行朝臣

歌の解釈としてはおおよそ、「住の江の岸に打ち寄せる波のように、夢の通い路を通っていても逢えないのは、あなたが人目を避けて逢おうとしてくれないからでしょうか」です。住之江は現在の大阪市住吉区あたりの海岸です。岸に波が打ち寄せるように何度も何度も通っているのに、一向にあなたは逢ってくれない、そんな忍ぶ恋の焦がれる気持ちが表現された歌です。
どうして逢ってくれないのだろう、もしかしてあなたは人目を気にしているのか。せめて夢の中だけでも会ってくれないだろうか。夢の中なら人目を気にすることはないでしょうに・・・。そんな焦がれるような恋に藤原敏行は思い悩んでいたのでしょうか。一体、敏行が恋した相手は誰だったのでしょうか。
藤原敏行はけっこう真面目で忠実な人だったようです。もしかしたらあまり目立たないタイプの人だったかもしれません。その敏行がこのような情熱的な歌を歌会で発表したので、宮中ではちょっとした話題になったようです。敏行の恋の相手は一体誰なんだろうと、宮中でしばらくの間噂になるほどの有名な歌だからこそ、藤原定家もこれを百人一首に選んだのでしょう。
もしかしたら藤原定家本人も、逢うことのできない恋い焦がれる人がいて、その思いを重ねあわせてこの歌を選んだのかもしれません。一体、藤原定家は誰に恋い焦がれていたのでしょうか。そんなことを想像しながらこの歌を口ずさんでみると、藤原定家がこの歌を選んだ気持ちがちょっとわかってくるような気がしてきます。


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