ホーム>文化>小倉百人一首について>19.難波潟(なにわがた) みじかきあしの ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや 伊勢
小倉百人一首の十九首目は伊勢の歌です。伊勢は三十六歌仙の一人で、伊勢守藤原継蔭の娘です。宇多天皇の中宮に仕えていましたが、公家たちとの交際を経て、宇多天皇の寵愛を受けました。またその後、宇多天皇の皇子と結婚しています。この歌は、ほんの短い間も逢ってくれないままずっとこの世を過ごせと言うのかと、逢ってくれない恋する相手への思いを詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「難波潟に生える葦の短い節と節の間のように、ほんの少しの間も逢ってくれなくて、このままこの世をひとりで過ごせというのでしょうか? 」です。難波潟は大阪湾の遠浅の海のこと、今の大阪湾は埋め立てや護岸工事などで面影はありませんが、昔は葦がたくさん生えていたのだと思われます。歌は、葦の節と節の間が短いのと、逢瀬のほんの短い時間とをかけています。私はこんなにあなたを慕っているのに、どうしてあなたはほんの少しの間も逢ってくれないの、と相手を慕いつつも責めるような、恋する女心が表現されている歌です。
どうして逢ってくれないの。一体あなたは私に、ずっとこのまま一人で過ごせと言うの? ほんの少しの間くらい、逢ってくれてもいいじゃない。とばかり、相手を強くなじるような伊勢の気持ちが伝わってきますね。恋多き女として知られている伊勢ですが、お相手の男性もたじたじになるような場面もあったかもしれません。歌からは強気そうなイメージがありますが、そんなところも伊勢の魅力のひとつだったのでしょう。恋多き女にふさわしく、恋い焦がれる気持ちを詠んだ秀歌を残してくれました。
藤原定家が伊勢のこの歌を百人一首の十九首目に選んだのは、やはりこれが逢えないつらさを詠んだ歌だからでしょうか。逢いたい。でも逢うことが出来ない。そんな気持ちを詠んだ歌を定家がしばしば選んでいるのは、おそらくそれらの歌に定家自身の気持ちと通じるものがあったからなのでしょう。