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2.春過ぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣干すてふ(ちょう) 天(あま)の香久山  持統天皇

小倉百人一首の二首目に藤原定家が選んだのは女帝・持統天皇の歌です。第四十一代天皇である持統天皇の父は天智天皇、夫は天武天皇です。息子の草壁皇子が早世されたために女帝として即位しました。この歌は初夏に天の香久山で衣を干す情景をうたったものと見るのが自然ですが、異説もあるようです。

2.春過ぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣干すてふ(ちょう) 天(あま)の香久山  持統天皇

歌の意味はおおよそ、「春が過ぎ、すっかり夏が来たようだ。なにしろ天の香久山に真っ白の衣を干しているようだから」です。
天の香久山で真っ白な衣が干されているという話を聞いて、持統天皇がもう春が過ぎて夏になったようだなと感じた思いを歌にしたものです。
言葉通りに見れば、この歌は鮮やかな緑の中で真っ白な衣が美しい初夏の情景を詠んだものと思われます。万葉集にこの原歌と思われる歌があり、当時は実際に天の香久山に衣を干すという習俗があったのだろうという解釈がされています。
しかし、天の香久山で真っ白に見えたのは、実は衣ではなく卯の花だとする説があります。白い卯の花が天の香久山一面に咲き誇るのを、まるで白い衣を一面に干したようだと評したというのです。考えて見るとわざわざ山まで行って衣を干すというのも手間のかかる話です。衣干すというのは字義どおりではなく、卯の花の比喩と考えた方が自然かもしれません。
実はこの歌は初夏ではなく、冬に詠んだ歌だとする説もあります。「春過ぎて 夏来(き)にけらし」と書いてあるのですから、冬のわけがないでしょうと思うのですが、ここにも深い意味があるそうです。
冬の天の香久山に雪が積もって真っ白になったというのを聞いて、持統天皇はそれを白妙の衣にたとえ「春過ぎて夏来にけらし」と詠んだそうです。
持統天皇は天の香久山の北西にある藤原京に遷都しました。藤原京は夫である天武天皇が造営を始めた都です。しかし、都が完成に至らないうちに天武天皇は崩御されました。持統天皇は夫の思いを受け継ぎ、造営が中断されていた藤原京を完成させて遷都を実現したのです。
ところが、遷都は必ずしも部下たち全員が賛成したわけではなかったようです。天の香久山が雪で真っ白になったのをわざわざ持統天皇に報告に来て、藤原京は寒くて住みにくいと遷都に対して不平を言った部下がいたようです。
その寒い、寒い、と不平を言う部下に対して持統天皇がこの歌でぴしゃりと返したということです。雪だ真冬だと思うからますます寒くなるのでしょう、真っ白な衣を干すほどに春が過ぎて夏が来たのだと思えば暖かい気がしてくるでしょう、と。
夫の天武天皇が果たせなかった藤原京への遷都をようやく実現できたのだから部下に文句は言わせない、そんな持統天皇の強い意志と亡き夫への愛が込められていると思うと、この歌の味わいもかなり違ってきますよね。


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