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20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思う  元良親王

小倉百人一首の二十首目は元良親王の歌です。元良親王は陽成天皇が譲位した後に生まれた第一皇子です。とても風流で女好きだったそうで、大和物語や今昔物語に登場して逸話を残しています。とりわけ宇多院の妃との熱愛の噂が有名です。この歌は、これだけ思い悩んだのだから、身を滅ぼしてもあなたに逢おうと思うと、逢いたい強い気持ちを詠んだものです。

20.わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思う  元良親王

歌の解釈としてはおおよそ、「思い悩んでいたのですが、どうせ同じことです。難波の澤標のように、身を滅ぼしてでも逢いたいと思います 」です。難波は大阪のことで、大阪湾に船の道標として差さっている「澤標」と「身を尽くす」をかけています。何が何でも逢いたい、という強い恋の気持ちをとてもまっすぐに表現していますね。どれほどの強い恋心を元良親王は抱えていたのでしょうか。
元良親王が恋していたとされるのは宇多院の妃です。それは本来ならば許されない恋、してはいけない恋だったはずです。でもだからこそ、元良親王の心に燃え上がるものがあったのかもしれません。
今までは人目を忍んで耐え、ずっと一人で思い悩んでいたけれども、うわさになってしまえば同じことだ。だから、もういまさら人目を恐れずに、身を滅ぼしてでもあなたに逢いたい。色好みの男ならではの、いささか強引さを感じさせるような歌ですね。
藤原定家が元良親王のこの歌を百人一首の二十首目に選んだのもまた、逢いたいという強い想いを詠んだ歌だというところに理由がありそうです。本来ならば許されるはずもない恋、でもどうしても逢いたい。そんな気持ちを、藤原定家もまた抱えていたのかもしれません。藤原定家は、一体誰に逢いたかったのでしょうか。定家は、この歌に自分自身の恋い焦がれる気持ちを映し出していたのかもしれませんね。


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