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21.今こむと いひしばかりに 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月を まちいでつるかな  素性法師

小倉百人一首の二十一首目は素性法師の歌です。素性法師は三十六歌仙の一人で、僧正遍昭が在俗のときに生まれた子だそうです。ということは桓武天皇のひ孫ですね。早くから出家したのですが、歌会などにしばしば招かれるなど、宮廷に近い僧侶・歌人として活躍しました。この歌は、愛する人が今来るよと言ったばかりに夜も寝ずに待ち続けた女性のせつない気持ちを詠んだものです。

21.今こむと いひしばかりに 長月(ながつき)の 有明(ありあけ)の月を まちいでつるかな  素性法師

歌の解釈としてはおおよそ、「あなたが今すぐに来るよと言ったばかりに、ずっと秋の夜長を待ち続けているうちに、有明の月が出てしまいましたよ 」です。長月(ながつき)は陰暦の9月、今の暦では9月下旬から11月上旬ごろになります。有明の月は夜が明けても空に見える月のことで、つまり陰暦の月の後半ごろということになります。
この歌は、一夜待ち続けたら夜が明けて有明の月が出たというのと、9月になってからもうひと月も待ち続けて有明の月が出るようになってしまったというのと、二通りの解釈があるそうです。どちらかはわかりませんが、好きな人を待ち続ける時間はとても長く、たとえ一夜でもひと月も待っているような気分になるかもしれませんね。私はあなたを信じてこんなに待っていたのよと、女性の切ない気持ちが伝わってくるようです。
ところで歌を詠んだのは素性法師、すなわち男性のお坊さんです。その素性法師が待ち続ける女性の気持ちになって歌を詠んだのです。このように自分ではない人の気持ちを想像し、その人の立場に立って歌を創作する、というのもちょっと面白いですね。
藤原定家は素性法師のこの歌を百人一首の二十一首目に選びました。素性法師の歌の中でも人を待つ歌、逢えないつらさを詠んだ歌を選んだのは、やはり藤原定家自身の逢いたくても逢えない気持ちと重なるからかもしれません。


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