ホーム>文化>小倉百人一首について>23.月見れば 千々(ちぢ)にものこそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど 大江千里
小倉百人一首の二十三首目は大江千里の歌です。百人一首の大江千里は「おおえのちさと」と読みます。大江千里は宇多天皇のころに活躍した儒学者および歌人で、しばしば歌会に出るだけでなく、勅命により歌集をつくり、献上したこともあったそうです。この歌は、秋の月を見ているうち物悲しくなった心情を詠んだ歌です。
歌の解釈としてはおおよそ、「月を見ていると、あれこれと考えてしまって物悲しくなる。私一人だけの秋というわけではないのだけれど 」です。秋の夜長に、月を見ているうちに詠んだ、切なさが伝わってくるような歌です。
月を見ているうち、いろいろともの思いをして悲しみにふけってしまった。でも考えてみれば、秋はみんなに平等にやってくるんだ。私一人の秋ではないのだけど。と最後にちょっとひねりがあるのが面白いですね。
この歌は、白居易の詩文集である白氏文集の詩文をもとにしたものと言われています。大江千里は儒学者だけあって、漢詩にも詳しかったのでしょう。他にも漢詩を元にした歌をつくっているそうです。
藤原定家は大江千里のこの歌を百人一首の二十三首目に選びました。大江千里は宇多天皇の歌会でも評判の良い歌人でした。それにこの歌は秋になると多くの人が好んで口ずさむほど人気があったそうですから、定家がこの歌を百人一首に選んだのも納得といってもいいのではないでしょうか。