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25.名にしおはば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら 人に知られで くるよしもがな  三条右大臣

小倉百人一首の二十五首目は三条右大臣の歌です。三条右大臣というのは藤原定方(ふじわらのさだかた)のことです。藤原定方は宇多天皇から朱雀天皇のころまで宮廷に仕えていた貴族であり歌人です。京の三条に住んでいた右大臣なので三条右大臣と呼ばれるようになったようです。この歌は、人目を忍んで逢瀬を待ち望む、そんな恋心を詠んだ歌だとされています。

25.名にしおはば 逢坂山(あふさかやま)の さねかづら 人に知られで くるよしもがな  三条右大臣

歌の解釈としてはおおよそ、「恋しい人に逢えるという逢坂山の、共に一夜を過ごすことができるというさねかづらがその名の通りならば、誰にも知られずにあなたに来てもらう方法を知りたいものです」です。恋する人と会える「逢坂山」と、一緒に寝ることとが出来る「さねかづら」が掛詞になっており、人に知られずにあなたに来てもらう方法を知りたい、と強い恋慕の情が詠まれています。
三条右大臣こと藤原定方さん、一体どんな恋をしていたのでしょうか。右大臣にまで上り詰めた方ですから堅物かと思いきや、けっこう情熱的な恋をしていたのかもしれませんね。どうしても恋する人に人目を忍んで逢いたい、そんな気持ちから逢坂山のさねかづらに願掛けをしていたのでしょうか。
藤原定家は三条右大臣のこの歌を百人一首の二十五首目に選びました。やはり藤原定家は、忍ぶ恋、他人に知られずに逢いたいという気持ちを詠んだ歌を好んで選んでいるような気がします。藤原定家自身も忍ぶ恋、人知れず逢いたいという恋心を抱えていたのでしょうか。


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