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27.みかのはら わきてながるる 泉河(いづみがは) いつ見きとてか 恋(こひ)しかるらむ  中納言兼輔

小倉百人一首の二十七首目は中納言兼輔こと藤原兼輔の歌です。藤原兼輔は三十六歌仙のひとりで、賀茂川の堤に住居を構えていたので堤中納言と呼ばれていました。藤原北家の家系で紫式部の曽祖父だそうです。この歌は、いつ会ったのかも覚えていないほど長く会っていない人に会いたいと強く思う、そんな恋い焦がれる気持ちを詠んだものとされています。

27.みかのはら わきてながるる 泉河(いづみがは) いつ見きとてか 恋(こひ)しかるらむ  中納言兼輔

歌の解釈としてはおおよそ、「みかの原から湧き出てて、別れて流れる泉川のように、いったいいつ見たことだろう。恋しいことだ」です。別れ別れになって長いこと会っていない。以前見たのは一体いつなんどだろう。恋しい、会いたい。そんな強い恋心が詠まれた歌です。ちなみに、一度も会ったことが無い人への恋心を詠んだものだとする説もあるようです。今でこそ現実に会っていなくても動画や写真で相手を見ることができたりしますが、当時であれば実際に会わなければ顔も声もわかりませんから、一度も会ったことが無い相手に恋心を抱くということがありえるのか、ちょっと疑問な気もします。でも、詠んだ和歌や手紙などを見ることで、実際に会ったことが無くても恋心を抱くということはあったようです。
中納言兼輔といってもあまり知られていませんが、堤中納言といえば日本の古典文学である堤中納言物語が有名です。藤原北家と家柄も良く地位も中納言とそこそこ高いながら、恋に関してはかなり純情で奥手な人だったのかもしれません。
ちなみにこの歌、「わきてながるる いずみがは」のあたりはちょっとエッチな意味だという解釈もあるようです。もしそうだとすると、ちょっと子どもには教えられない解釈になってしまうかもしれませんが、そのあたりはなんともいえませんね。
藤原定家は中納言兼輔のこの歌を百人一首の二十七首目に選びました。この歌も会いたくても会えない恋、強く恋い焦がれる思いを詠んだ歌ですので、おそらく定家好みの作品だったといっていいのではないでしょうか。忍ぶ恋を好んで選ぶ定家自身が一体どんな恋をしていたのか、ちょっと気になってきますね。


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