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3.あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麻呂

小倉百人一首の三首目は歌聖と称される柿本人麻呂の歌です。柿本人麻呂は三十六歌仙の一人ですが官位が不明で謎の多い人物です。これは本人の歌ではないとする説もありますが、藤原定家が三番目に選んだわけですから、相当重要な歌であると考えるべきかもしれません。

3.あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む  柿本人麻呂

歌の意味はおおよそ、「山鳥の尾が垂れ下がっているようなとても長い夜を私はひとり寝するのかなあ」です。「あしびき」は「山」にかかる枕詞です。
かなわない恋に悩みながら、好きな人に会えない思いを抱えて一人寝するさみしさを歌にしたものとされています。
柿本人麻呂は三十六歌仙の一人で、歌人として持統天皇の頃に活躍しました。天武天皇との思い出の地である吉野に持統天皇がたびたび行幸された際、柿本人麻呂はその行幸につきそっていくつもの歌をつくっています。
藤原定家が持統天皇の次に柿本人麻呂を選んだのは、それだけ柿本人麻呂が持統天皇と縁の深い歌人であると考えたからかもしれません。
ところでこの歌は、柿本人麻呂の作ではないとの説があります。柿本人麻呂の他の歌と比べると異質な感じがするからというのです。素晴らしい歌だと評されるうち、いつのまにか柿本人麻呂の作とみられるようになったのだろうともいわれています。
もしかしたらこれは、持統天皇の崩御後に柿本人麻呂が詠んだ歌なのかもしれません。行幸にもたびたび付き添うほど持統天皇に気に入られていた柿本人麻呂ですが、持統天皇が崩御すると宮廷歌人としての地位を失い、身分を落とされ左遷されてしまいます。そうして、かつて持統天皇に気に入られていたころを懐かしみながら、さみしく一人寝する自分を歌ったのかもしれません。柿本人麻呂が詠んだ他の歌と比べると異質な感じがするのも、持統天皇に気に入られていたころから一転して落ちぶれてしまった柿本人麻呂の境遇の変化がそうさせたのかもしれません。持統天皇の治世がいつまでもいつまでも続いてくれたらよかったのに、そう思いながら柿本人麻呂は落ちぶれた自分を嘆き悲しんでいたのでしょうか。


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