ホーム>文化>小倉百人一首について>32.山川に 風のかけたる しがらみは ながれもあへぬ 紅葉(もみじ)なりけり 春道列樹
小倉百人一首の三十二首目は春道列樹(はるみちのつらき)の歌です。春道列樹は官位も低く、歌人としてもそれほど有名な作品を多く残したわけではありません。藤原定家が彼の歌を百人一首に選ばなければ、もしかしたらその名は残らなかったかもしれません。この歌は、散って川に落ちた紅葉が、しがらみにとどまっている秋の情景を詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「山川に風がしかけたしがらみがある。そこで流れることができずに紅葉が留まっている」です。素直に解釈すれば、秋の紅葉が川のしがらみに溜まっている情景を詠んだ歌だといっていいと思います。
ただこれは失恋の歌、かなわぬ恋の歌を詠んだものだという解釈もあります。「しがらみ」とは川の流れに混じった草葉やゴミなどをせき止める柵のことです。この川のしがらみは、もしかしたら人生のしがらみを暗示しているのかもしれません。世間の常識や身分・家柄の違いなど、いろいろな人生のしがらみがあるために、好きな人ができてもなかなか自由に恋愛を進められないことは珍しくありません。「ながれもあへぬ」の「あへぬ」は「会へぬ」すなわち会うことが出来ないのを嘆いていると見ることができます。しがらみにとらえられ、流れていって会うこともできない、春道列樹はそんなかなわぬ恋に苦しんでいる自分を、川のしがらみに止まっている紅葉と同じだなあと嘆いているのかもしれません。
藤原定家は春道列樹のこの歌を百人一首の三十二首目に選びました。身分の低い、歌人としてもそれほど有名ではない春道列樹の歌を定家がなぜわざわざ選んだのか。ここにも秘密が隠されている気がします。おそらくこの歌は単なる情景を詠んだ歌ではなく、かなわぬ恋の苦しみを詠んだ歌なのでしょう。そしてそのような裏の意味を含んだ歌だということを知っていたからこそ、定家はこの歌を百人一首に選んだのでしょう。