ホーム>文化>小倉百人一首について>35.人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほいける 紀貫之
小倉百人一首の三十五首目は紀貫之(きのつらゆき)の歌です。紀貫之は三十六歌仙の一人で、従兄弟である紀友則、壬生忠岑と共に「古今和歌集」の撰者となっています。当時の歌人としての評価は絶大であり、古今和歌集には最も多くの作品が収められています。また、「土佐日記」の作者としても知られています。この歌は、昔よく行っていた宿に久しぶりに泊まった際、宿の主人に言われた言葉を受けて、そこにあった梅の花を折って詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「人々の気持ちは知らないですが、昔からなじみのこの花だけは、変わらない香りをにおわせていますね」です。人の心はうつろいやすく、時間が経つとどうなってしまうのかわからないけれども、花だけは季節が来ればおなじ香りをにおわせてくれている。花の香りを愛でるとともに、人々の心の移ろいやすさを嘆いている、そんな紀貫之の心情が伝わってくるような歌ですね。
この歌は紀貫之が昔よく行っていた宿に久しぶりに泊まった際、宿の主人が「宿は昔のままですよ」と言われたのでそこにあった梅の花を折って詠んだものです。そのため、宿の主人に「こんなに長いこと来て下さらないとは、心変わりしたのですか」と言われたように感じたので、「あなたの心だって変わったかもしれないじゃないですが、でもこの梅の花の香りだけは変わってないですけどね」と返したという解釈がけっこう多いようです。
でもそうではなく、紀貫之は梅の花の香りをかぎつつ、好きな女性のことを思いだしていた、という解釈もあります。あの人は今も私のことを思ってくれているだろうか、それとももう私のことなど忘れてしまったかな。そんな気持ちでこの歌を詠んだのかもしれません。
藤原定家は紀貫之のこの歌を百人一首の三十五首目に選びました。数ある紀貫之の作品の中から、定家はなぜこの歌を選んだのでしょうか。私としては、宿の主人との掛け合いの歌としてではなく、しばらく会っていない好きな女性への恋心を詠んだ歌として定家はこの歌を選んだのではないかなと、そう思いたいところです。