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36.夏の夜は まだ宵(よひ)ながら あけぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ   清原深養父

小倉百人一首の三十六首目は清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌です。清原深養父は古今和歌集に多くの作品が入集するなど歌人として評価が高い人で、清少納言の曽祖父にあたる人です。深養父は三十六歌仙には残念ながら選ばれませんでしたが、後に中古三十六歌仙に選ばれています。この歌は、夏の夜に明け方まで過ごしていたら月が雲に隠れて見えなくなってしまった、そんな情景を詠んだ歌です。

36.夏の夜は まだ宵(よひ)ながら あけぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ   清原深養父

歌の解釈としてはおおよそ、「夏の夜はまだ宵の口だと思っていたら明け方になってしまった。いったい、雲のどこに月が宿っているのだろう」です。深養父さん、夏の夜にずっと起きていたのですね。まだ宵の口だと思っていたら明けてしまったとは、一体何をしていたのでしょうかね。月がきれいだったのが、ちょっと目を離したすきに雲が出てきて見えなくなってしまったのかもしれません。「月はどこ行っちゃったのかなあ」と空を眺めまわしている深養父さんの姿が目に浮かびます。
たしかに、夏の夜は冬と比べればとても短いです。でも、宵の口だと思っていたら明けてしまったというほど短くはないと思います。一体、深養父さんは夏の夜に何をしていたのでしょうか。夜中にずっと何もせず月を眺めていたのでしょうか。もしかしたら、友人と酒盛りでもしていたのかもしれませんね。楽しい時間はあっという間です。気が付いたら朝になっていた、というのは酔っぱらって途中で居眠りしていた可能性もありますね。それなら、宵の口から夜明けまであっという間ということもあるかもしれません。
藤原定家は清原深養父のこの歌を百人一首の三十六首目に選びました。当時、歌人として評価が高かったのに三十六歌仙に選ばれなかった深養父さんは、定家によって百人一首に選ばれなければ埋もれてしまって名が人々に知られなかったかもしれません。忍ぶ恋や会えない悲しみを詠んだ歌が多く選ばれているなかで、こんな素直な歌がすっと出てくると、なんだか気持ちがホッとします。こういう歌があるのも、小倉百人一首の面白いところですね。定家が清原深養父の歌を「三十六首目」に選んだ、この順番にも意味がある気がします。「あなたは残念ながら三十六歌仙には選ばれなかったけれども、私はあなたを三十六歌仙にふさわしい歌人だと認めていますよ」、そんな定家のメッセージがこの順番に秘められているのではないでしょうか。


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