ホーム>文化>小倉百人一首について>37.白露(しらつゆ)に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける 文屋朝康
小倉百人一首の三十七首目は文屋朝康(ぶんやのあさやす)の歌です。文屋朝康は六歌仙である文屋康秀の息子で、歌合に多く出詠するなど歌人として活躍しましたが、古今集にはわずか一首しか選ばれていません。この歌は、風の吹く秋の野原の情景を詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「白露に風が吹き続ける秋の野は、穴にひもを通すなどして留めていない玉がバラバラになって散ってしまうようだ」です。秋の情景を詠んだとても美しい歌、といっていいでしょう。風が強く吹き付けることで、葉っぱなどについた水滴たちが揺れ、まるで真珠の玉のように散らばって行ってしまった。そんな秋の情景が目に浮かびます。
でもこの歌は、それだけではないのかもしれません。古今集に自分の歌が一首しか選ばれなかった。そのつらい気持ち、口惜しい気持ちがこの歌に込められている、という説があります。文屋朝康の作品たちはまるで、秋の野の白露のように、風が吹いて散り散りになって消えていってしまった。そんなみじめで口惜しい想いが、この歌には隠れているのかもしれません。
藤原定家は文屋朝康のこの歌を百人一首の三十七首目に選びました。定家はどうして文屋朝康のこの歌を選んだのでしょうか。単に情景の美しい歌だからでしょうか。それとも、定家はこの歌の裏の意味まで知っていて、あえて選んだのでしょうか。