TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>39.浅茅生(あさじふ)の 小野(をの)の篠原(しのはら) 忍(しの)ぶれど あまりてなどか 人の恋(こひ)しき   参議等

39.浅茅生(あさじふ)の 小野(をの)の篠原(しのはら) 忍(しの)ぶれど あまりてなどか 人の恋(こひ)しき   参議等

小倉百人一首の三十九首目は参議等(さんぎひとし)こと源等(みなもとのひとし)の歌です。源等は嵯峨源氏の血筋で、醍醐天皇から村上天皇の時代にかけて活躍しました。最終官位が参議の正四位下なので、百人一首では参議等となっています。この歌は、人に知られないように忍び続けてきた恋が耐えられなくなって、恋しさがあふれてきた心情を詠んだ歌です。

39.浅茅生(あさじふ)の 小野(をの)の篠原(しのはら) 忍(しの)ぶれど あまりてなどか 人の恋(こひ)しき   参議等

歌の解釈としてはおおよそ、「小さな茅(ちがや)が生えている野の篠原のように忍んでいても、あの人への恋心があり余ってきてどうしても恋しくて仕方が無くなってきた」です。忍ぶ恋がだんだんじわじわと燃え上がってきて、どうにも耐えられなくなってきた、そんな源等の熱い思いが伝わってくるような歌ですね。
源等は一体誰に恋していたのでしょうか。そして一体、どれくらい忍び続けていたのでしょうか。忍べば忍ぶほど、恋する気持ちがあふれてくる、そんな心情は何となくわかる気がします。源等は家柄も良くて高貴な身分のお公家さんというイメージですが、たとえ高貴な身分であっても恋というのは思い通りにいかないものです。こんな歌を残すほど忍ぶ恋に悩んでいたのかと思うと、なんだか等さんに親しみを覚えます。
藤原定家は源等のこの歌を百人一首の三十九首目に選びました。人知れず忍び続けてきた恋心が、だんだん強くなってきてあふれてきて、もう耐えられなくなってしまった、そんな源等の歌はまさに定家好みの歌といって良いでしょう。定家もまた、同じように忍ぶ恋に苦しんできたのかもしれませんから。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る