ホーム>文化>小倉百人一首について>4.田子の浦に うち出(い)でて見れば 白妙(しろたへ)の 富士の高嶺(たかね)に 雪は降りつつ 山部赤人
小倉百人一首の四首目は山部赤人の歌です。山部赤人は聖武天皇のころの宮廷歌人ですが、生没年不詳ですこしミステリアスな雰囲気がある人物です。この歌は富士山に雪が降り積もっている様子を見て詠んだものとされていますが、この情景にはちょっと不思議なところがある気がします。
歌の意味はおおよそ、「田子の浦にやってきて見れば、真っ白な富士の高嶺に雪が降っているなあ」です。「白妙」はここでは雪の積もる富士山にかかる枕詞になっています。
旅に出た山部赤人が今の静岡県の海岸を通った際、富士山に雪が降り積もっているのを見てその情景を歌にしたものとされています。
山部赤人は三十六歌仙の一人で、柿本人麻呂と共に歌聖と呼ばれていました、宮廷歌人として聖武天皇の頃に活躍し、天皇の吉野行幸にお供して歌を詠んだりしていたようです。
藤原定家が四首目に山部赤人の歌を選んだのは、歌聖と名高い柿本人麻呂と山部赤人の歌を二首、並べて見たかったからかもしれません。
ところでこの歌の情景、ちょっと不思議ではないでしょうか。
「富士の高嶺(たかね)に 雪は降りつつ」とあります。つまり今、富士山の頂上に雪が降っているということになります。であれば雪の日です。雪が降る日に、富士山の頂上を見ることはできるのでしょうか?
雪が降る日は、空は雲に覆われています。普通に考えれば、雪の日に富士の高嶺(たかね)は見えないはずです。
つまり、この歌は富士の高嶺に雪が降っているという「見ることが出来ないはずの情景」を詠んだものと考えることができます。
もしかしたら、山部赤人が田子の浦にうち出でて見たとき、空は雲で覆われて富士山は全く見えなかったのかもしれません。でも、山部赤人は、「きっと雲の向こうでは富士山があり、その高嶺には雪が降り積もっているに違いない」と、想像力を働かせてこの歌を詠んだのかもしれません。
富士の高嶺に雪が降り積もっているという、実際には見ることのできない情景を詠んだ歌である、そう思ってみると、この歌の味わいもだいぶ違って感じられるのではないでしょうか。