ホーム>文化>小倉百人一首について>41.恋すてふ(ちょう) わが名はまだき たちにけり 人知れずこそ 思いそめしか 壬生忠見
小倉百人一首の四十一首目は壬生忠見(みぶのただみ)の歌です。壬生忠見は平安時代中期に活躍した歌人で、父の忠岑と親子で三十六歌仙に選ばれています。歌人としては有名ですが、あまり出世はできなかったようで経歴や生没年など不明な点が多いです。この歌は、村上天皇の天徳歌合において「恋」をテーマにして平兼盛の歌と対決した有名な歌です。
歌の解釈としてはおおよそ、「あの人は恋しているらしいと、私の名がまたたく間にうわさになってしまった。人に知られないように思い始めたばかりだというのに」です。忍ぶ恋を始めたばかりでいきなり噂になってしまうなんて、そんな状況になったら恥ずかしくて逃げ出したくなってしまうかもしれません。上手くバレないように振る舞っているつもりでも、周囲にうわさになってしまうことって、あるんですよね。
これは村上天皇の天徳四年に行われた、「天徳内裏歌合」において「恋」をテーマにして詠んだ歌です。先に歌を詠んだ対戦相手は平兼盛でした。歌合で勝ちまくっている手ごわい歌人が、シンプルで共感しやすい歌を詠みました。それがひとつ前の四十首目です。でも、壬生忠見も負けてはいません。秘かに恋を始めたばかりなのに周囲にうわさになってしまった、そんな顔が真っ赤になるような状況を歌に詠んで、人々を引き込みました。壬生忠見の歌も評価は高く、この対決は甲乙つけがたい状況になりました。
この歌合では平兼盛と壬生忠見のどちらも素晴らしい出来栄えの歌だったため、判定がなかなかつかなかったようです。でもちょっとした勝負の綾で、平兼盛の勝利となりました。敗れた壬生忠見はとても落胆したことでしょう。
この勝負の決まり方に疑問を抱く人もいて、「本当は壬生忠見の方が優れていた」という意見もあるようです。人情としては、歌に人生を賭けたといわれる壬生忠見に軍配を上げたいところです。でも、当時の歌合の判定人たちですら迷ってなかなか判定できないくらいですから、二首とも同じくらい素晴らしい出来だったというべきなのでしょう。
藤原定家は壬生忠見のこの歌を百人一首の四十一首目に選びました。これもまた、定家好みの「忍ぶ恋」の歌ですね。百人一首に選ばれるべくして選ばれた、納得の一首です。