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42.契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは   清原元輔

小倉百人一首の四十二首目は清原元輔(きよはらのもとすけ)の歌です。清原元輔は平安時代中期の貴族であり清原深養父の孫、清少納言の父親です。三十六歌仙に選ばれるなど歌人としても高名で、和歌所寄人に任命されています。この歌は、愛しあった相手の心変わりを嘆いた失恋の歌です。

42.契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは   清原元輔

歌の解釈としてはおおよそ、「約束したじゃないか。お互いに涙を流した袖を絞りながら。波が末の松山を越すことがないように、二人の愛が変わることはないと」です。お互いにずっとずっと愛しあおうと約束した。それなのに相手は心変わりしてしまったようだ。そんな相手をなじるような、訴えるような思いを詠んだ失恋の歌です。
これは清原元輔本人が失恋をして詠んだ歌、というわけではないそうです。この作品は代作、つまり清原元輔が誰か失恋した人にに歌をつくってくれと頼まれて詠んだものだそうです。和歌所寄人に任命されるほど歌が上手いと、他人のために歌を代作する仕事もあったりするのですね。
清原元輔は和歌を詠むのに時間をかけていろいろ考え技巧を凝らすのではなく、一瞬のひらめきで口から出てきた言葉にまかせて詠む歌人だったといわれています。いわば天才肌の歌人、といってもいいかもしれません。
藤原定家は清原元輔のこの歌を百人一首の四十二首目に選びました。思い通りにいかない相手に悩む失恋の歌、清原元輔が誰かのために詠んだ代作が選ばれました。和歌にはとても詳しい藤原定家ですから、この歌が代作であることは知っていたことでしょう。藤原定家自身も和歌所寄人だったのでおそらく歌の代作をしばしば頼まれていたと思われます。それで、同じく和歌所寄人で歌の代作をしていた清原元輔に共感していたのかもしれません。


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