ホーム>文化>小倉百人一首について>43.あひ見ての 後(のち)の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 権中納言敦忠
小倉百人一首の四十三首目は権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ)こと藤原敦忠(ふじわらのあつただ)の歌です。藤原敦忠は左大臣の藤原時平を父に持つ家系で、参議から権中納言へと出世しますが、出世の後まもなく死去しました。優れた歌人で三十六歌仙の一人に選ばれているとともに、琵琶の名手で琵琶中納言とも呼ばれていたそうです。この歌は、逢い見た後にいや増して恋心が深まっていく思いを詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「逢瀬を遂げて契りを結んだあとの心に比べれば、昔は何も考えていなかったようなものだなあ」です。愛する気持ちが高まり、逢瀬を果たし、契りを結ぶことで、その前後での考えや気持ちが変わっていくことを詠んだ歌ですね。
この歌はどう解釈するべきでしょうか。一つには、逢い見た後にいや増して恋心が深まっていったという解釈があります。逢瀬を遂げ、契りを結んだ後の方が恋しい気持ちがますます高まっていった。今の恋しい気持ちと比べれば、昔はなにも思っていなかったくらいだなあ、という解釈です。
一方で、逢い見た後に冷静になっていろいろ考えるようになったという解釈もあるかもしれません。逢瀬を遂げ、契りを結んだ後になっていろいろ考えるようになった。今思うと、昔はもう他のことが何も考えられないくらい一途に好きで好きでたまらなかったなあ、という解釈です。
藤原敦忠はどんな思いでこの歌を詠んだのでしょうか。あなたはどう思いますか? 思いを遂げた後は冷静になる人も多いかもしれません。でも逆に、思いを遂げた後こそますます恋心が深まっていく人も少なくないでしょう。人それぞれの恋の経験によって、この歌の解釈も変わってくるかもしれませんね。
藤原定家は藤原敦忠のこの歌を百人一首の四十三首目に選びました。定家も深まる恋心に悩んでいて、この歌に大いに共感したのかもしれません。はたして定家は思いを遂げられたのでしょうか。