ホーム>文化>小倉百人一首について>44.あふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠
小倉百人一首の四十四首目は中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ)こと藤原朝忠(ふじわらのあさただ)の歌です。藤原朝忠は右大臣・藤原定方を父に持つ人で、最終官位が中納言なので小倉百人一首では中納言朝忠となっています。三十六歌仙の一人で歌合などで活躍していたようです。この歌は、逢うこととができるのになかなか逢えない恋のつらさを詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「逢うことが絶対にないのだったら、かえってあの人の態度も、私の身のことも、恨むことはないのに」です。全く逢わないのであれば、恋も始まらないでしょう。でも出会ってしまったからには恋が始まります。逢いたい、でもあの人はこちらの思うようには振り向いてくれない。そんな焦がれる思いが募れば、恋心はだんだんつらく苦しくなっていきます。
この歌の解釈もまた、人それぞれの恋愛体験によって異なってくるかもしれません。恋が始まるのは素晴らしいこと、だから逢うことが絶対にないなんてとんでもない、そう思う人もいるでしょう。一方で、恋が始まるのはつらく苦しいこと、あんなつらい思いをするぐらいなら、いっそのこと絶対に逢わない方がいいくらいだ、そう思う人もいるかもしれません。恋は素晴らしいものであると同時につらく苦しいものです。恋の味がさまざまに変化するように、この歌の味わいも様々に変化するような気がします。
藤原定家は藤原朝忠のこの歌を百人一首の四十四首目に選びました。この歌はなんだか四十三首目の藤原敦忠の歌とペアのようですね。定家は百人一首の歌の選定のみならず、その並べ方の順番にもこだわっていたようです。素晴らしくて苦しい恋の味を、敦忠、朝忠の二つの歌とともにじっくり味わいましょう。