ホーム>文化>小倉百人一首について>45.あはれとも いふべき人は 思ほへで 身のいたづらに なりぬべきかな 謙徳公
小倉百人一首の四十五首目は謙徳公(けんとくこう)こと藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の歌です。藤原伊尹は藤原北家の家柄で、出世して摂政にまでなっています。最終官位は太政大臣で謙徳公というのはおくり名です。歌人としても名高く和歌所の別当になっています。また、親の言いつけに従わず贅沢で派手好きだったといわれています。この歌は、そんな時代の権力者である謙徳公が上手くいかない恋のつらさを詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「哀れだと言ってくれそうな人はあなたよりほかにいると思えなくて、このまま私は死んでしまうに違いない」です。摂政にまで上り詰めた権力者、謙徳公といえども恋には苦しんだのかもしれません。謙徳公に、「私はこのまま死んでしまうに違いない」とまで言わせるとは、お相手はどんな女性だったのでしょうか。
謙徳公は恋多き人だったのかもしれません。好きになれば一途になり、その女性に熱中し、このままあなたが振り向いてくれなければ私は死んでしまうとまで言う、そうやっていろいろな女性を振り向かせてきたのでしょうか。
あるいは、謙徳公は恋下手だったのかもしれません。つらく苦しい一途な恋に耐えられなくなり、ついに私はこのまま死んでしまうに違いないとまで歌に詠んでしまったのでしょうか。
藤原定家は謙徳公のこの歌を百人一首の四十五首目に選びました。摂政にまで上り詰めた時代の権力者、謙徳公の恋の歌に、定家は共感したようです。定家もまた恋に一途になり、熱中し、このまま振り向いてくれなければ死んでしまうとまで思ったのでしょうか。定家が思いを寄せた相手、彼が恋する女性は一体どんな人だったのでしょうか。