TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>46.由良(ゆら)のとを 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな   曽禰好忠

46.由良(ゆら)のとを 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな   曽禰好忠

小倉百人一首の四十六首目は曽禰好忠(そねのよしただ)の歌です。曽禰好忠は官位は高くなく丹後掾を長く務めていたことは知られていますが生没年不詳で謎の多い人です。尊大で人づきあいが悪く、存命中は歌人たちの集まりから仲間外れにされ評価も低かったようです。しかし、後世になって歌人としての評価が高まり、中古三十六歌仙に選ばれています。この歌は、どうなっていくのかわからない自分の恋の不安やもどかしさを詠んだものです。

46.由良(ゆら)のとを 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな   曽禰好忠

歌の解釈としてはおおよそ、「由良川の河口の速い流れを渡る船頭がかじを無くして漂っていくように、私の恋の道も流されるまま、どこにいくのやらわからない」です。恋する気持ち、それはまた不安な気持ちでもあります。それは船に乗る船頭がかじを無くしてしまったくらいの不安です。できればうまく、ゴールにたどりついてほしい。でも、このままどこに行くのやらさっぱりわからない。そんな不安でもどかしい気持ちがこの歌には込められています。
もしかしたら、曽禰好忠が詠んだのは恋の道だけではなく、人生そのものの道なのかもしれません。人生この先、一体どうなるのかさっぱりわからない。でも、焦ったり、不安におびえたりしてもしょうがない。流れに任せてこのまま行くしかない。そんな達観したような気持ちが、この歌には込められているような気もします。
藤原定家は曽禰好忠のこの歌を百人一首の四十六首目に選びました。百人一首に選ばれなければ、曽禰好忠の名がここまで後世に伝わることはなかったかもしれません。これもまた定家好みの歌、うまくいかない恋の不安やもどかしさを詠んだ歌です。定家はこの歌と曽禰好忠の生きざまに共感してこの歌を選んだのでしょう。誰しも多かれ少なかれ、自分の恋の行方や人生のこの先に不安やもどかしさを感じています。この歌を知ることで、不安やもどかしさを感じているのは自分だけじゃないんだと一人でも多くの人が気づいてくれれば、定家がこの歌を選んだ甲斐があったといえるでしょう。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る