ホーム>文化>小倉百人一首について>47.八重(やへ)むぐら しげれる宿(やど)の さびしきに 人こそ見えね 秋はきにけり 恵慶法師
小倉百人一首の四十七首目は恵慶法師(えぎょうほうし)の歌です。恵慶法師は花山天皇のころに歌人として活躍した人で、中古三十六歌仙の一人です。生没年不詳で不明な点が多い人ですが、源氏の血筋といわれています。この歌は、京都六条にあった河原左大臣こと源融(みなもとのとおる)の住まいである河原院にて、歌人たちが荒れた宿に秋が来たというテーマで詠みあった際に詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「つる草が何重にも重なって生い茂っている主人のいない荒れた宿はさみしく、人は誰も来ていないが、秋だけはやってきている」です。人里離れたど田舎の小さな空き家を想像してしまいます。誰もいないがらんとした荒れた家、雑草は伸び放題のあばら家に秋が来る、そんなさみしさがきわまったような歌ですね。
ただこれを詠んだ場所は京都六条、河原左大臣こと源融が住んでいた豪邸の河原院だったそうです。すでに主人の源融はなく、誰もいない河原院に歌人たちが集まり、歌の詠みあいをしていたとのこと。酒を酌み交わしながら楽しく歌を詠んでいたのかもしれません。そんな歌会に参加していた恵慶法師がそこで詠んだ歌がこれだということです。かつて左大臣が住んでいた豪邸で詠んだ歌とは思えないくらい、物悲しさがにじみ出てくる歌を詠んだものです。
藤原定家は恵慶法師のこの歌を百人一首の四十七首目に選びました。定家もすごい歌を選びましたね。どうやら定家は楽しい歌よりもさみしい歌の方が、恋の歌でも幸せな歌よりも苦しみや悲しみを表現した歌の方が好みのような気がします。定家もまた百人一首編纂にあたり、小倉山荘にこもって人里離れた秋のさみしさを体感していたのかもしれません。