ホーム>文化>小倉百人一首について>50.君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな 藤原義孝
小倉百人一首の五十首目は藤原義孝(ふじわらのよしたか)の歌です。藤原義孝は藤原北家の家柄で摂政までなった謙徳公こと藤原伊尹(ふじわらのこれただ)の三男だそうです。信心深く美男子で歌も上手く、出世も早くて期待されていたようですが、当時の流行り病にかかって兄と共に二十一歳の若さで亡くなりました。後に中古三十六歌仙に選ばれています。この歌は、想いを遂げてますます高まっていく恋心を詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「あなたのためなら惜しくもないと思った命でさえも、もっと長く続いて欲しいと思うようになりました」です。一度でも会うことができたら死んでもいい、そう思っていた。でも一度会うことが出来たら、もっと長生きして何度でも会いたいと思うようになった。そんなふうに一度結ばれた女性に深く惚れ込んでしまった男心を詠んだ歌ですね。
この歌は想いを遂げて一夜を過ごすことができた女性に、藤原義孝が家に戻ってから贈った歌だそうです。一度会えて、想いを遂げて、家に帰ったら今まで以上にあなたに会いたくなった。そんなますます高まっていくストレートな恋心を詠んだ好感の持てる歌ですね。
では藤原義孝はこの歌を贈った後、何度もその女性に会うことが出来たのでしょうか。彼は二十一歳の若さで早世していますから、そう何度も彼女には会えなかったとも思われます。もしかしたら、この歌を贈った後、彼女に会えないまま亡くなってしまったのかもしれません。人のいのちははかないものです。人生は何が起きるかわかりませんから、たとえ一度きりの逢瀬でも大切にしたいものです。
藤原定家は藤原義孝のこの歌を百人一首の五十首目に選びました。失恋の歌ばかり続くのでもう小倉百人一首じゃなくて失恋百人一首に名前が変わったんじゃないかと思うくらいでしたが、ここで想いを遂げた恋の歌が出てきてちょっと安心しましたね。でも、早世した藤原義孝の歌ですから、想いを遂げた恋の歌でも暗い未来を暗示しているような気がします。藤原定家の歌選びは、なかなか一筋縄ではいきませんね。