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53.嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜(よ)の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る   右大将道綱母

小倉百人一首の五十三首目は右大将道綱母の歌です。右大将道綱母は蜻蛉日記の作者であり、また摂政・関白・太政大臣を務めた藤原兼家の第二夫人となって藤原道綱を産んだ女性です。容姿麗しく、日本本朝三大美人の一人とされています。また和歌の評価もとても高く、中古三十六歌仙に選ばれています。この歌は、夫が外に出かけて浮気をしていて、夜帰ってこないのを嘆いている夫人の恨めしい気持ちを詠んだ歌とされています。

53.嘆きつつ ひとり寝(ぬ)る夜(よ)の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る   右大将道綱母

歌の解釈としてはおおよそ、「嘆きながら、一人でずっと寝る夜が明けるまでの間は、どれだけ長いことかあなたは知ってるんでしょうか?」です。夜帰ってこない夫への強烈なメッセージですね。浮気していてきっと誰かほかの女と遊んでいるに違いない。そう思うと口惜しくて腹立たしくて、とてもぐっすりとは寝ていられなかった。そんな気持ちを彼女は歌に込めて、久しぶりにやってきた夫の兼家さんにぶつけたのです。夫の兼家さんも夫人をほったらかして夜中に外で遊んでくるとは、いけませんね。
この歌は夫人の恨めしい気持ちがこもっているすごい歌として、当時またたく間に評判になりました。でもこの歌が世間で評判になっても、兼家さんはあまり反省していなかったそうです。おかげで夫人は夫の兼家のことは愛想を尽かし、息子の道綱のことばかりに熱心になったともいわれています。
出世すればするほど、男は外で女遊びしたくなるものなのかもしれません。でもやっぱり、将来恨みを残さないためにも、浮気は控えて、奥さんのことを大切にした方が良いでしょう。
藤原定家は右大将道綱母のこの歌を百人一首の五十三首目に選びました。定家さんの歌選び、なかなか目の付けどころがすごいです。藤原氏が盛んになった時代は、同時に周囲の人々の恨みが蓄積されていった時代でもある。定家はこの歌を選ぶことで、そう示したかったのかもしれません。


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