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55.滝の糸は 絶へて久しく なりぬれど 名こそ流れて なを聞こへけれ   大納言公任

小倉百人一首の五十五首目は大納言公任の歌です。大納言公任というのは藤原公任(ふじわらのきんとう)のことで、関白太政大臣・藤原頼忠の長男です。家柄も良く順調に出世していましたが、藤原道長が台頭してくると官位を追い抜かれ、一条天皇の時代には四納言の一人として道長の政治を支える立場になります。多才で和歌や漢詩、管弦に秀でており、当時の歌壇の第一人者で、三十六歌仙を選んだことで知られています。最終官位は権大納言、また中古三十六歌仙に選ばれています。この歌は、すでになくなってしまった滝が、その名声だけは今でも聞こえてくると詠んだものです。

55.滝の糸は 絶へて久しく なりぬれど 名こそ流れて なを聞こへけれ   大納言公任

歌の解釈としてはおおよそ、「滝の糸のような流れは絶えてしまって久しく年月が過ぎてしまったけれど、その名声は流れて今でもその名が聞こえてくることですよ」です。すでに滝の水は絶えてしまった。しかし、流れなくなってもうずいぶん経つけれどもその名声だけは流れて今でも聞こえてくる・・・。それは滝のことを言っているのでしょうか、それとも誰かすでに亡くなってしまった人物のことを言っているのでしょうか。
この歌は、公任が大覚寺に行ったときに詠んだものです。大覚寺は第五十二代天皇である嵯峨天皇が離宮として建立させたもので、その際、庭園に人工の滝をつくらせたそうです。百年以上経って、滝そのものは枯れてしまっているけれど、嵯峨天皇がつくらせたという人工滝の名声は今でも聞こえてくる、すでに滝の無い庭園を見て、公任はこのような歌を詠んだのでしょう。さすが公任です。歌のリズム感、縁のある言葉選びなど、技巧を凝らしたレベルの高い歌を詠んでくれました。聞こえるはずの無い滝の音まで聞こえてくるような気がしてきます。
ただもしかしたら、公任が今でも聞こえてくると言ったのは「滝」の名声ではなく、嵯峨天皇の名声なのかもしれません。大覚寺の枯れてしまった滝を見ながら、公任は偉大な功績を残した嵯峨天皇の名声に想いを馳せていた。そう思うと、この歌の味わいもちょっと違ってきますよね。
藤原定家は大納言公任のこの歌を百人一首の五十五首目に選びました。当時の歌壇の第一人者であり、三十六歌仙を選んだ人物である藤原公任ですから、百人一首に選ばれるのも当然と言っていいでしょう。公任も亡くなってすでに久しくなるけれど、その名声は定家が生きている時代でもなお聞こえていたはずです。公任の名声はまるで、この歌の「滝」の名声のようだ、そう思いながら定家はこの歌を選んだのかもしれません。


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