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57.めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな   紫式部

小倉百人一首の五十七首目は紫式部(むらさきしきぶ)の歌です。紫式部はまさに平安時代絶頂期を代表する人物といっていいでしょう。彼女は平安時代の女官で、「源氏物語」および「紫式部日記」の著者として有名です。歌人としても名高く中古三十六歌仙および女房三十六歌仙に選ばれています。また和歌集に「紫式部集」があります。この歌は、幼馴染と久しぶりに逢うことのできた時間の短さをさみしく思う気持ちを詠んだものとされています。

57.めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半(よは)の月かな   紫式部

歌の解釈としてはおおよそ、「ひさしぶりに巡り合うことができて、今見た人かどうか見わけもつかないくらいの間にもう立ち去ってしまうのですね。雲隠れした夜半の月のようなあなたよ」です。おそらく薄暗い中で逢ったのでしょう。顔の見わけもつかないうちにじっくり楽しむ間もなく相手は立ち去ってしまった。その逢瀬の短さをさみしく思う気持ちを、雲隠れした夜半の月になぞらえて詠んだ歌です。
これはまだ子供のころ、幼いころからの友人と再開したときのことを詠んだ歌だそうです。久しぶりに会ってもっと話したかったのに、幼友達の彼女はほんのわずかな時間しか居られずにさっさと帰ってしまった。そんなさみしさを詠んだ歌とのことです。
ただ、この歌にはもっと深みのある意味が込められているような気がします。人生は一期一会です。「また今度でいいや」、「どうせ次に会えるだろう」、と思っていたらもう二度と会えなくなってしまった、ということも珍しくありません。好きな人、愛する人もいつか雲隠れする。いや自分自身の人生もいつか終わってしまう。人生は一瞬のめぐり合いであり、すべてはわからない間に雲隠れしてしまう。そんな無常感をこの歌は表わしているのではないでしょうか。
貴族たちが華やかだった平安時代中期を生きた紫式部、源氏物語の著者としてまた和歌の名手として誉れ高い紫式部には、この栄華の時代がいつか衰退し、「雲隠れ」していくことを予感していたのかもしれません。
藤原定家は紫式部のこの歌を百人一首の五十七首目に選びました。まさに文句なしですね。百人一首に選ばれるべくして選ばれた、素晴らしい歌だと思います。


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