ホーム>文化>小倉百人一首について>59.やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて 傾(かたぶ)くまでの 月を見しかな 赤染衛門
小倉百人一首の五十九首目は赤染衛門(あかぞめえもん)の歌です。赤染衛門は平安中期に活躍した歌人で、出自が不明な点もありますが右衛門志であった赤染時用(あかぞめのときもち)の娘なので赤染衛門と呼ばれるようになったそうです。歌人としての評価は高く、しばしば和泉式部と対比され、また後に中古三十六歌仙および女房三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は、来る約束をしていた男性を待っていたが来なかったので夜更けの月が傾くのを見るまで起きてしまった女性の状況を詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「はじめからあなたが来ないと知っていたのなら、ためらわず寝てしまっていたのに。きっと来てくれると信じて待っていたから夜が更けてしまって、西に傾いていく月を見てしまいましたよ」です。逢えると思って夜更けまで待っていたのにお相手の男性は来なかった、そんなつらい女性の心情を詠んだ歌ですね。
お相手の男性はいったいどこで何してたのでしょうか。女性を長いこと待たせるとはいけませんね。他の用事なんかほったらかしにして女性のもとに行くべきでしょう。女性が信じて待ってくれているうちが華ですから、裏切るようなマネはしないほうが良いと思いますよ。
この歌は赤染衛門の姉妹のもとに、後に関白となる藤原道隆が来ると言っておきながら来なかったので、待ちぼうけとなった姉妹のかわりに赤染衛門が詠んだものだそうです。つまり、姉妹になりかわって赤染衛門が代作をしたということです。歌のうまいことで評判の赤染衛門ですから、代作を頼まれることもしばしばあったのかもしれません。
赤染衛門の出自については、本当は赤染時用の子ではなく平兼盛の子ではないかとする説がありますが定かではありません。大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し、仲睦まじく暮らしたそうです。また藤原道長の正妻やその娘に仕えたときも評判が良く、つきあいのあった紫式部などからも好かれていたようです。赤染衛門さん、かなり性格の良い人だったようですね。およそ八十五歳ごろまで生きていたそうですので、当時としては長生きだったのではないでしょうか。
藤原定家は赤染衛門のこの歌を百人一首の五十九首目に選びました。来ると言っていた男性を待っているのに来てくれなくて夜更けになってしまった、そんな姉妹のために代作した赤染衛門の歌が選ばれました。定家はおそらく、赤染衛門の歌の上手さと性格の良さに敬意を表し、また代作するほど評判の良い歌人だと示したくて、あえてこの歌を選んだのかもしれません。