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6.かささぎの 渡せる橋に おく霜(しも)の 白きを見れば 夜(よ)ぞ更(ふ)けにける  中納言家持

小倉百人一首の六首目は中納言・大伴家持の歌です。大伴家持は三十六歌仙の一人で、万葉集で最も多くの歌を詠んだ人物として知られています。また官吏として能力を発揮し昇進したり、藤原家に対抗して左遷されたりと、波乱の人生を送った人とされています。これは真夏の夜を詠んだ歌との説と、冬の夜に詠んだ歌との説があります。

6.かささぎの 渡せる橋に おく霜(しも)の 白きを見れば 夜(よ)ぞ更(ふ)けにける  中納言家持

歌の解釈のひとつとしてはおおよそ、「七夕の日にかささぎが牽牛と織姫を逢わせるために天の川に渡す橋、その橋に散らばる霜のような星たちが白いのを見れば、夜も更けたのだなあと実感する」です。これは真夏の夜を詠んだ歌とする説ですね。七夕の夜空に輝く星たちを霜になぞらえています。
もうひとつ、冬に詠んだ歌とする説の解釈では、「宮中の階梯に霜が降りている。その白さを見ると、夜も更けたのだなあと実感する」となります。夜中の宮中の階段をかささぎの渡せる橋になぞらえています。霜が降りるくらいですから真冬の夜の歌でしょう。
夏の夜と冬の夜、一つの歌で異なる二つの解釈が出来てしまうというのも、なんだか不思議な感じがしますね。一つの歌を二度味わえるというのは、家持の歌のうまさのなせるわざといえるかもしれません。もしかしたら、この歌にはまだまだ隠された秘密があるのかもしれません。
藤原定家は六首目に中納言・大伴家持の歌を選びました。古代から続く由緒ある貴族である大伴氏の跡取りでありながら、何度も左遷されたり、没後に官籍から名を消されたりし、いわば「反藤原」と見られていた大伴家持をあえて六首目に選んだのには、藤原定家の特別な想いがあるような気がします。
万葉集の編纂にも大きく関わったとされ歌人としても名高い、波乱の生涯を送った中納言・大伴家持、その歌に秘められた意味は私たちの想像もつかないほど深いところにあるのかもしれません。


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