TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ(今日)九重に にほひぬるかな   伊勢大輔

61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ(今日)九重に にほひぬるかな   伊勢大輔

小倉百人一首の六十一首目は伊勢大輔(いせのたいふ)の歌です。伊勢大輔は伊勢神宮の祭主である大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)の娘で、一条天皇の中宮・彰子に仕え、和泉式部や紫式部などと交流があったことで知られています。歌人として細やかな気遣いのある歌が評判で、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は、紫式部から八重桜を受け取る役を譲られたとき、機転を利かせて詠んだものとして知られています。

61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ(今日)九重に にほひぬるかな   伊勢大輔

歌の解釈としてはおおよそ、「もう過ぎ去ってしまったかつての奈良の都の八重桜が、今日、この京の都の宮中(九重)に美しく咲いている」です。九重は宮中のことです。八重桜と九重をかけているのが上手いですね。また「にほひぬるかな」は、当時は視覚的な意味合いがあったそうで、現代の「匂う」の意味ではないとのことです。
この歌は、伊勢大輔が八重桜を受け取る役を紫式部から譲られたときに詠んだものです。皆が集まっているときに急に受け取り役を譲られて、普通なら困ってしまうかもしれません。人前で即興で歌を詠むのはとても緊張すると思いますが、そんな中でも当時まだ宮中では新参者であった伊勢大輔さんはとても素晴らしい歌を詠みましたね。かつての都である奈良から八重桜が京の都の宮中までやってきて咲き誇っている。それは京の都が繁栄していることを思わせるもので、集まっていた人々もこの歌を聞いて大変満足したのではないでしょうか。機転が利き、細やかな配慮が出来る女流歌人として、伊勢大輔の評判は大いに広まったことでしょう。
藤原定家は伊勢大輔のこの歌を百人一首の六十一首目に選びました。恋の歌ではありませんが、それでもこの歌の素晴らしさには定家も大いに気に入ったことでしょう。伊勢大輔さんの評判が広まったきっかけになったとされる素晴らしい歌ですから、定家がこれを百人一首に選んだのも当然といえるでしょう。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る