ホーム>文化>小倉百人一首について>62.夜(よ)をこめて 鳥の空音(そらね)は はかるとも よに逢坂(あふさか)の 関はゆるさじ 清少納言
小倉百人一首の六十二首目は清少納言の歌です。彼女は清原元輔の娘で、「清少納言」というのは中宮に女房として仕えていた際の宮中での呼び名です。随筆「枕草子」の作者で、紫式部と並び称される平安時代の代表的文学作者です。和歌はそれほど得意でなかったそうですが、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は、藤原行成とのやりとりの中で詠んだものとして知られています。
歌の解釈としてはおおよそ、「まだ夜が明ける前に鶏の鳴きまねをして騙そうと思っても、この逢坂の関は開きませんよ」です。これは、大納言の藤原行成とのやり取りの中で、清少納言が彼の手紙に返す形で詠んだものです。藤原行成さん、どうやら清少納言を怒らせてしまったのでしょうか。「あなたが何を言おうと、もうあなたとは逢いませんよ」とばかりに厳しく逢うのを拒絶する歌ですね。この後、行成さんは清少納言さんに会えなかったのでしょうか。それとも、清少納言さんの機嫌が直って逢うことが出来たのでしょうか。
夜明け前に鶏の鳴きまねをして関所を通るというのは、漢の司馬遷による歴史書「史記」の列伝にある故事からとったものです。孟嘗君が秦国から逃げ出ようと函谷関の関所にさしかかったとき、鶏の鳴きまねが得意な部下がいて鳴きまねをしたので、関所の番人が夜明けと勘違いして門を開き、夜明け前に逃げることができたという話です。
函谷関は鶏の鳴きまねで門を開いたけれど、私はそうは許しませんよ、と藤原行成に厳しく返したのがこの歌です。清少納言は史記の列伝にある故事を知っていたということで、外国の歴史書も読んでいる知識豊富な女性だったと言えるでしょう。また、大納言の行成にぴしゃりと拒絶する歌を返すとは、けっこう気の強い女性だったのではないかという気もします。
藤原定家は清少納言のこの歌を百人一首の六十二首目に選びました。恋い焦がれる歌は百人一首に多く採用されていますが、相手を拒絶する歌というのは珍しいですね。もちろん清少納言は平安時代の代表的人物ですから選ばれるのは当然と思いますが、定家はどうして彼女の作品の中からこの歌を選んだのでしょうか。けっこう定家は気の強い女性が好きなのかもしれません。それで、清少納言の性格を良く表している歌として、あえてこの歌を選んだのかもしれませんね。