ホーム>文化>小倉百人一首について>63.今はただ 思ひたえなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな 左京大夫道雅
小倉百人一首の六十三首目は左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ)こと藤原道雅(ふじわらのみちまさ)の歌です。藤原道雅は内大臣・藤原伊周(ふじわらのこれちか)の息子で、順調に出世していた父の伊周が花山法皇に矢を射かける事件により失脚し、没落の家で育ちます。悪行の噂ありあまり評判の良くない道雅ですが、和歌の評判は良く、中古三十六歌仙の一人に選ばれています。この歌は逢うことを許されなくなった当子内親王に贈ったものとして知られています。
歌の解釈としてはおおよそ、「今はただ、あなたへの想いを断ち切ってしまおうということを、人づてではなく直接あなたに言う方法が無いものかと思っています」です。これは、三条天皇の第一皇女で、伊勢神宮の斎宮である当子内親王に贈った歌です。あまりにも身分の違う、逢うことすら許されない恋はもうあきらめてしまおう。でもそのことだけは手紙や誰かに伝言するのではなくて、直接なんとかして当子内親王に逢って伝えたい。逢うことを禁止された道雅さんのつらさ、苦しさがひしひしと伝わってくるような歌です。
道雅と当子内親王との許されない恋は三条院(三条天皇)の怒りを買い、それがために道雅は出世できなくなったそうです。おそらく道雅自身も、この恋を続けていたら出世できなくなることは分かっていたのでしょう。出世よりも恋を選んだ男として、百人一首に道雅の名が刻まれることになりました。当子内親王も道雅のことが好きだったようです。道雅と逢うことを許されなくなってから病気になり、その後出家してしまいます。
左京大夫道雅は何かと悪行の噂があり、荒三位とか悪三位とか呼ばれていたそうです。でも、本当は言われるほど悪い人ではなかったのかもしれません。許されない恋を選んだばかりに出世できなくなった道雅は、当時の貴族たちから誹謗中傷を受けやすく、実際以上に悪く書かれやすかったとも考えられます。
藤原定家は左京大夫道雅のこの歌を百人一首の六十三首目に選びました。許されない恋を選んで出世できなくなった男、その道雅による悲恋の歌を、定家はとても気に入っていたようです。もしかして定家自身も許されない恋をしていたのでしょうか。そしていっそのこと、出世できなくてもいいから道雅のような生き方をしたいと、定家は思っていたのかもしれません。