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66.もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし   前大僧正行尊

小倉百人一首の六十六首目は前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)の歌です。行尊は天台宗の僧侶で、大僧正というのは一般に僧侶の最高位のことをいいます。行尊は身分の高い家柄に生まれながら若くして出家し、天台座主までなった人です。修験者として熊野や山岳地帯などで修業していたと伝えられており、また歌人としてとても有名です。この歌は山で修業をしていた際に、山桜を見て詠んだものとされています。

66.もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし   前大僧正行尊

歌の解釈としてはおおよそ、「山桜たちよ、みんな懐かしいと思ってくれ。こんな山では花よりほかに私のことを知る人はいないのだから」です。これは、山で修験者としてひとり修業しているときに、山桜を見かけて詠んだ歌とされています。誰もいない人里離れた山奥で修業していて、誰も自分のことを知っている人はいない。でも、山桜だけは私を見ているし、私を知っている。修業をしながら行尊はそんな気持ちになったのでしょうか。
行尊さんは家柄が良く天台座主にまでなった人でありながらも、修験者として山奥へ行って一人で修業していたことで知られています。何日も、場合によっては何か月も誰にも会わず、山奥で一人で修業していたらどんな気持ちになるのでしょうか。ひょっとしたら、厳しい修行をすることによって、山桜とも気持ちを通わせることが出来るようになったのかもしれません。
藤原定家は前大僧正行尊のこの歌を百人一首の六十六首目に選びました。修験者としてまた歌人として高名な大僧正の歌は独特の味わいがある素晴らしい歌です。恋の歌、女流歌人の歌、叙景歌などが続いた後で修験道を思わせる歌が入ってきました。小倉百人一首における定家の歌選びの幅の広さ、懐の深さを感じさせる一首です。


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