ホーム>文化>小倉百人一首について>67.春のよの 夢ばかりなる 手枕(たまくら)に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 周防内侍
小倉百人一首の六十七首目は周防内侍(すおうのないし)の歌です。周防内侍は平安後期の女房・歌人で、父が周防守なので周防内侍と呼ばれていました。歌人としての評価は高く女房三十六歌仙の一人に選ばれています。最初は後冷泉天皇に出仕していましたが崩御により一旦家に戻り、それから後三条天皇に再出仕し、さらに白河天皇、堀河天皇に出仕しました。この歌は周防内侍が枕があれば良いなと言ったところ、藤原忠家が腕を差し出してきたため詠んだものとされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「まるで春の夜の夢のような手枕を借りたばかりに、つまらない浮名が立ってしまっては口惜しいではありませんか」です。これは、手枕を差し出してきた男に対する、断りの歌ですね。つまらない浮名を流したくはありませんから、その手枕はいりませんよと、腕を差し出してきた男にぴしゃりと歌で返したのです。
腕を差し出してきたのは藤原忠家です。忠家の最終官位は大納言ですから、なかなか地位の高い人ですね。その忠家が手枕を差し出してきたのですから、断るのは相当勇気のいることでしょう。周防内侍さん、けっこう気の強い女性だったのでしょうか。
藤原定家は周防内侍のこの歌を百人一首の六十七首目に選びました。こういう歌、定家はけっこう好きなのかもしれません。