TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>68.心にも あらでうき世に ながらへば 恋(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月かな   三条院

68.心にも あらでうき世に ながらへば 恋(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月かな   三条院

小倉百人一首の六十八首目は三条院の歌です。三条院とは第六十七代である三条天皇のことで、当時実権を握っていた藤原道長と対立して苦難を受け続けた天皇として知られています。三条天皇は冷泉天皇の第二皇子で、三十六歳でようやく即位しましたが視力を失ってから道長にしきりに譲位を迫られます。結局、即位後五年足らずで譲位し、その翌年に出家してわずか四十二歳で崩御します。この歌は三条天皇が譲位の際に詠んだものとされています。

68.心にも あらでうき世に ながらへば 恋(こひ)しかるべき 夜半(よは)の月かな   三条院

歌の解釈としてはおおよそ、「心にもないほどにこの浮世に生き続けていれば、この夜更けの月がきっと恋しく思い出されることに違いない」です。いつまで生きていられるかわからない。もうこの夜更けの月を二度と見ることはできないかもしれない。ただもし生きながらえることができたならば、あのときの夜更けの月が、きっと懐かしく思い出されることだろう。夜更けの月の美しさが目に浮かぶとともに、切なさと悲しさがわきあがってくるような歌ですね。
十一歳で東宮(皇太子)となりながら、即位をしたのは三十六歳。しかし天皇になってから藤原道長との関係が深刻に悪化します。さらに眼病によって視力を失い、内裏の焼失が相次ぎ、さんざん藤原道長に譲位を迫られた末に、在位わずか五年足らずで譲位することになります。このとき、三条天皇の無念さはいかばかりだったでしょうか。失明し、月を見ることもできない三条天皇の失意と悲しみの深さがこの歌には込められているように感じます。
藤原定家は三条院のこの歌を百人一首の六十八首目に選びました。定家はあえて、栄華を極めた藤原家の長である藤原道長にいじめられ、苦しめられた三条院の歌を選びました。定家自身、三条院のこの歌を高く評価していたのでしょう。でもそれだけでなく、道長をはじめとした奢り高ぶる藤原家に苦しめられた人々への鎮魂をしたいという気持ちがあって、その願いを込めてこの歌をあえて選んだのかもしれません。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る