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73.高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山(とやま)のかすみ たたずもあらなむ   権中納言匡房

小倉百人一首の七十三首目は権中納言匡房(ごんちゅうなごんまさふさ)こと大江匡房の歌です。大江匡房は平安時代後期の学者であり歌人です。学者の家柄に生まれ幼いころから学才豊かだったそうですが、若いころは貧乏で役職も得られず出家も考えていたようです。後三条天皇の頃から取り立てられるようになってだんだん実力を発揮していきます。この歌は高い山に咲く美しい桜を詠んだものです。

73.高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山(とやま)のかすみ たたずもあらなむ   権中納言匡房

歌の解釈としてはおおよそ、「ここから遠く高い山の頂にある桜が咲くようになった、あの美しい桜をいつまでも見ていたいから、周辺にある山の霞よ、どうか立たないでくれ」です。高い山の上の桜はとても美しいのでしょう。その美しい桜をずっと見続けたいから、どうか霞で見えなくなるようにはならないでほしい、そんな想いが伝わってくるような歌です。
この歌はとある宴にてはるかに望む山桜をお題として詠まれた歌だそうです。匡房さん、山の上の桜の美しさが目に浮かぶような、みごとな歌を詠んでくれました。
学者の家柄である大江家はなかなか出世できませんでしたが、匡房さんはその才覚もあって権中納言まで出世しました。学才豊かなのを買われて、仕えていた天皇からも信頼されていたようです。漢詩、和歌にも造詣が深く、兵法にも優れていたといわれています。
藤原定家は権中納言匡房のこの歌を百人一首の七十三首目に選びました。藤原家が権力を持つ平安時代でなかなか出世できなかった大江家の、才覚豊かな匡房さんの歌を、定家はどのような想いで選んだのでしょうか。この歌が七十三首目に選ばれたことは、大江匡房に対する定家の敬意を感じさせるような気がします。


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