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75.契りおきし させもがつゆを 命(いのち)にて あはれ今年の 秋も去(い)ぬめり   藤原基俊

小倉百人一首の七十五首目は藤原基俊(ふじわらのもととし)の歌です。藤原基俊は藤原北家の血筋で藤原道長のひ孫、右大臣であった藤原俊家の四男と名門の家柄に生まれ育ったものの、あまり出世はしなかったようです。ただ歌の評判はとても良く、源俊頼朝臣とともに当時の歌壇のリーダー的存在として活躍しました。この歌は、息子の栄誉を願って頼みごとをしたのにかなわなかった嘆きを詠んだものです。

75.契りおきし させもがつゆを 命(いのち)にて あはれ今年の 秋も去(い)ぬめり   藤原基俊

歌の解釈としてはおおよそ、「あれほどお約束してくださいました、ヨモギの葉の露のようなお言葉を命のように大切に頼っておりましたのに、ああ、その望みもかなわず今年の秋もむなしく過ぎていってしまいます」です。どうやら何か約束してくれた人がいて、それを頼りにしていたのに、その約束を守ってくれなかったようですね。今年の秋もむなしく過ぎていってしまったということは、少なくとも一年くらいは待っていたのでしょうか。約束してくれたはずの相手を恨みがましく責めているような歌ですね。一体どんな約束だったのでしょう?
実は藤原基俊は、次の七十六首目に出てくる法性寺入道前関白太政大臣の藤原忠通に、とある頼みごとをしていたようです。それは基俊の出家した息子がお寺にて取り立てられるよう、とりなしを藤原忠通に頼んでいたそうです。藤原忠通がとりなしを約束してくれたような思わせぶりな返事をしたので、基俊は大いに期待していたのですが、息子は取り立ててもらえず、こんな恨みがましいボヤキのような歌を残したということです。
藤原定家は藤原基俊のこの歌を百人一首の七十五首目に選びました。基俊は他にも歌を詠んでいますから、もっと明るい感じの歌を選んであげても良かった気もしますが、定家はあえて基俊の出世させてもらえなかったボヤキの歌をえらびました。このあたりから藤原家だから、名門の家柄だから出世できるとは限らなくなり、藤原家の没落が始まった。そんな時代の潮目の変化を示したくて、定家は基俊のこの歌をここに選んだのかもしれません。


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