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76.わたの原 漕(こ)ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波   法性寺入道前関白太政大臣

小倉百人一首の七十六首目は法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)こと藤原忠道(ふじわらのただみち)の歌です。藤原忠道は若くして摂政・関白・太政大臣となり、晩年には出家して法性寺関白と呼ばれました。保元の乱で次の七十七首目に出てくる崇徳上皇や弟の藤原頼長と対立し勝利しますが、そのあたりから摂関政治は力を失っていき、武士が台頭してきます。この歌は、海の上で遠くを望むという題で崇徳天皇の前にて詠んだものとされています。

76.わたの原 漕(こ)ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波   法性寺入道前関白太政大臣

歌の解釈としてはおおよそ、「大海原に向かって漕ぎ出してみれば、はるか遠くに雲と見間違えるくらいに沖の白波が立っていた」です。青い空と海、そして白い波が目に浮かぶような、美しい情景を詠んだ歌ですね。「わたの原」といえば、十一首目にある参議篁の歌を思い起こします。島流しになる不安と失望を抱えながらも、あえて強がって海に向かって漕ぎ出していく小野篁の歌です。おそらく、藤原忠道は小野篁の歌を意識した詠んだのでしょう。ただ、小野篁のようなわけありの歌ではなさそうです。
この歌は、「海上遠望」という題で崇徳天皇の前にて詠んだものだそうです。藤原忠道は関白にまでなった人ですから、一人で小舟に乗って海に漕ぎ出したことはおそらくないでしょう。ですから、想像力をたくましくしながらこの海に漕ぎ出して遠くを望む叙景歌を詠んだものと思われます。純粋に景色を想像しながら美しく読む、好感の持てる歌ですね。そのときは、この歌を聞いた崇徳天皇も喜んだのではないでしょうか。そののち、保元の乱にて両者の勢力は敵同士として戦うことになると思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますね。
藤原定家は法性寺入道前関白太政大臣のこの歌を百人一首の七十六首目に選びました。美しい叙景歌であり、評価も高いので、百人一首に選ばれるのも文句ないところです。ただ、ひとつ前に藤原基俊の忠通への恨みがこもったような歌を、そして一つあとに保元の乱で敗れた崇徳院(崇徳天皇)の歌を選んでいるところが、藤原定家の意図を感じさせるような気がします。このような配置をすることで、定家は平安後期から末期にかけての混乱していく時代を映し出そうとしたのでしょうか。


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