ホーム>文化>小倉百人一首について>79.秋風に たなびく雲の 絶(た)え間より もれいづる月の 影のさやけさ 左京大夫顕輔
小倉百人一首の七十九首目は左京大夫顕輔(さきょうのだいふあきすけ)こと藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の歌です。藤原顕輔は平安時代後期の公家・歌人で、六条藤家の祖である藤原顕季の三男です。数々の歌合などで詠歌し、父より人麻呂影供を受け継ぎ、崇徳上皇の命を受けて詞花和歌集を編纂するなど、歌道家たる六条藤家の二代目として大いに活躍しました。この歌は秋の雲の切れ間からこぼれてくる月光の美しさを詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「秋風に吹かれて長くなっている雲の切れ間から漏れてくる月の光のなんと澄み切った美しさだろうか」です。とても美しい歌ですね。雲に隠れて月そのものは見えないのかもしれません。でも、月の光はたなびく雲の切れ間から漏れ出てくる。その光に、顕輔さんは澄み切った美しさを感じたのでしょう。月そのものが見えなくても、雲の切れ間から漏れ出てくる月光の美しさに感動すること、その感性の素晴らしさがこの歌を味わい深くさせてくれます。
月が見えないことを口惜しがるのではなく、見えている世界の美しさを感じましょう。そんなメッセージがこの歌には込められているような気がします。何気ない光景の中に美しさを発見すること、そこに歌を詠み、歌を楽しむ醍醐味があるのかもしれません。
この歌は久安六年(1150年)、崇徳上皇に贈られた「久安百首」にある歌です。近衛天皇に譲位後の崇徳上皇は和歌にのめりこんでいたそうで、この歌を贈られたとき崇徳上皇は大いに喜ばれたのではないでしょうか。
藤原定家は藤原顕輔のこの歌を百人一首の七十九首目に選びました。とても美しく、味わい深い歌ですから、百人一首に選ばれるのも当然と言えるでしょう。崇徳上皇に贈られた歌を選んだのは、定家の崇徳院への鎮魂の思いが込められていると見ることもできます。もしかしたら定家は、手に入らないものを嘆くのでなく、今見える世界をよろこび、その美しさを感じるのだと、自分に言い聞かせたくてこの歌を選んだのかもしれません。