ホーム>文化>小倉百人一首について>8.わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ 世(よ)を宇治山(うぢやま)と 人はいうなり 喜撰法師
小倉百人一首の八首目は喜撰法師の歌です。喜撰法師は、平安時代初めごろの真言宗の僧で、六歌仙のひとりとして名高い人です。しかしながら、経歴や生没年などは不詳で謎に満ちた人物です。これは、都から離れて宇治山に隠遁し、平和に生活する喜撰法師自身の心情を詠んだ歌とされています。
歌の解釈としてはおおよそ、「私の住処は都の東南にあって平穏に生活している。だが都の人々はここを憂いの山(宇治山)だと噂しているようだ」です。これは都の人々がさぞやさみしかろうと噂する中で、喜撰法師が宇治山で平和に生活しているさまを詠んだ歌と解釈されます。
この歌の解釈については、喜撰法師の心情について大きく二つの説に分かれるようです。
一つは、喜撰法師は都の人々の噂を気にして悩んでいたとする説です。いま私はこうして平穏に生活しているのに、都の人々は私が憂いていると思っている。都の人々のうわさ話は何とかならないものか、そんな悩ましい想いを込めてこの歌を詠んだのかもしれません。
もう一つは、喜撰法師は都の人々の噂を笑い飛ばしていたとする説です。都の人々は私が憂いていると思っているようだが、私はこんなに明るく日々を過ごしている。むしろ、都こそ憂いに満ちた生活をしている人たちばかりではないか。そんな都の人たちの見当違いの噂を笑うように詠んだ歌なのかもしれません。
都会暮らしと、人里離れた隠遁生活と、どちらが好ましい生活だと思うのか、人の好みによってこの歌の味わいは違ってきそうですね。
紀貫之は古今集の仮名序にて喜撰法師を評していますが、つかみどころのない評になっています。それだけ、喜撰法師は歌のみならず本人の経歴などもよくわからず、つかみどころのない人物なのでしょう。ただ、六歌仙のひとりですし、藤原の定家によって第八首目に選ばれたわけですから、非常に味わい深い歌を詠む名高い歌人と言って間違いないでしょう。