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84.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋(こひ)しき   藤原清輔朝臣

小倉百人一首の八十四首目は藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)の歌です。藤原清輔は平安時代末期の公家・歌人で、七十九首目に出てくる左京大夫顕輔の次男です。若いころは父と対立し出世もできず不遇の日々でしたが、五十歳あたりで父から人麻呂影供を受け継いでから、二条天皇に取り立てられるなど六条藤家の三代目として活躍しました。藤原定家の父・俊成とは歌会などで対抗する立場だったようです。この歌は、過去のつらかった日々を良き思い出として懐かしく思う心情を詠んだものです。

84.ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋(こひ)しき   藤原清輔朝臣

歌の解釈としてはおおよそ、「もし長生きすればまた、今のつらい状況が懐かしく思い出すのだろうか。憂いに満ちていたと思っていた昔の状況も今になってみると恋しく思い出されるよ」です。昔つらかった頃のことが、今は懐かしい。だから、今つらいと思っていても、未来になれば懐かしいと思うのではないだろうか。そんな人生のつらさを何とか克服しようとする気持ちを感じさせる味わい深い歌ですね。今苦しい、つらい状況にあってもへこたれないで、そんな藤原清輔さんのメッセージが込められているような気がします。
この歌は、若いころの清輔さんの父・顕輔との対立や、なかなか出世できなかった不遇の日々が、「憂(う)しと見し世」であり、それが今となっては懐かしく思い出されるという解釈が主流です。父と息子の対立がこの歌のテーマだとはっきり言う人もいるようです。ただこの歌は父と子の対立に限定されず、つらく苦しい日々も未来になれば良い思い出になるよと、自らをそして人々を励ます歌だと解釈したいような気がします。実際、人生がうまくいっていない人、不遇の日々を過ごしている人にとっては、慰めと勇気づけになる歌だと思います。
藤原定家は藤原清輔朝臣のこの歌を百人一首の八十四首目に選びました。父・俊成の歌の次に、父と歌壇で対抗していた清輔さんの歌を選択したあたり、定家の歌選びの思想を感じさせます。清輔さんのこの歌も、彼の人生を最も良く表していると定家は思ったのでしょう。当時の歌壇で活躍した二人の人生観を見比べることができるのも百人一首の面白さですね。過去の苦しみも今は懐かしい、そんな清輔さんの想いに定家は大いに共感していたのではないでしょうか。


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