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86.なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな   西行法師

小倉百人一首の八十六首目は西行法師(さいぎょうほうし)の歌です。西行法師は平安時代末期から鎌倉時代初頭にかけての僧侶であり歌人です。俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)、武士の家に生まれ、十代から徳大寺家や鳥羽上皇に仕えるなどしていましたが、二十三歳で出家し西行と号して諸国を旅しながら歌を詠むようになりました。この歌は、恋の悩みを月のせいにしようとして涙する自分の気持ちをふりかえりつつ詠んだものです。

86.なげけとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな   西行法師

歌の解釈としてはおおよそ、「嘆きなさいといって月がもの思いを私にさえているのだろうか。いや月のせいにしてこぼれ落ちる私の涙がさせてるのだ。恋の悩みだというのに」です。うまくいかない恋に苦しみ、悩んでいるとき、ふと夜空を見上げて月を見ているうち、涙があふれてきた。そして、自分が涙を流しているのは、月が「嘆け」と言っているせいだ。一瞬そんな風に思った自分を反省し、いや月のせいじゃない、これは恋の悩みなんだと、涙を流しながら自分の気持ちとその変化を振り返っているようです。恋の悩みを詠んだ歌ですが、ただそれだけではなく、なかなか奥深い歌ですね。
西行法師さんも恋をしていたのでしょうか。この歌は「月前の恋といえる心」を詠んだものだそうです。つまり歌会などで「月前の恋」というお題を決めて、それについて技巧を凝らして歌を詠んだものだということです。ですから西行法師自身の恋愛体験を詠んだものではないとするのが一般的なようです。でももしかしたら、この歌には西行さんの過去の恋愛体験とそのときの想いが込められているのかもしれません。恋の悩みは誰もが体験するものです。西行法師さんが過去に恋で悩んでいたとしても不思議ではないと思います。
藤原定家は西行法師のこの歌を百人一首の八十六首目に選びました。またまた定家好みの上手くいかない恋、つらい恋の歌です。西行法師さんは諸国を旅しながら様々な歌を作られていますが、定家が選んだのは旅の叙景歌ではなく、うまくいかない恋の歌でした。もしかしたら定家自身もうまくいかない恋に悩んでいて、いっそのこと出家しようかとまで考えていたのかもしれません。出家し諸国を行脚して歌を詠む、そんな西行法師の生きざまを、定家はうらやましく思っていたとも考えられます。


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