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87.村雨(むらさめ)の 露(つゆ)もまだひぬ まきの葉に 霧(きり)立ちのぼる 秋の夕暮れ   寂蓮法師

小倉百人一首の八十七首目は寂蓮法師(じゃくれんほうし)の歌です。寂蓮法師は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶であり歌人です。八十三首目に出てくる藤原俊成の弟・僧俊海の息子で、十歳ごろに俊成の養子となりました。出世は従五位上まででしたが、三十歳代で出家し、そののち歌人として活躍して和歌所寄人になりました。この歌は、雨上がりの濡れた真木の葉から霧が立ち上っている秋の夕暮れの美しい情景を詠んだものです。

87.村雨(むらさめ)の 露(つゆ)もまだひぬ まきの葉に 霧(きり)立ちのぼる 秋の夕暮れ   寂蓮法師

歌の解釈としてはおおよそ、「にわか雨があがってその露がまだ乾いていない真木の葉に、霧が立ち上っている秋の夕暮である」です。雨上がりの秋の夕暮れ、露に濡れた葉っぱから霧が立ち上っています。空は夕焼けで赤くなっているのでしょうか。あるいはもう暗くなろうとしているかもしれません。ちょっと肌寒くなってくる雨上がりの秋の夕暮れが目に浮かぶ、そんな美しい歌ですね。
寂蓮法師は和歌の実力者で、後鳥羽院や鴨長明から高く評価されています。藤原俊成の養子になっていますから、俊成さんから和歌についてみっちり教えてもらったのかもしれませんね。恋の歌ではなく、叙景歌で百人一首に選ばれている点からも、寂蓮法師さんの歌の実力の高さを感じさせます。
藤原定家は寂蓮法師のこの歌を百人一首の八十七首目に選びました。定家は藤原俊成の次男ですから、俊成の養子になっていた寂蓮法師とは子どものころからよく知っており、二十年あまり年上の寂蓮法師の歌を、定家も大いに参考にしていたことでしょう。この「秋の夕暮れ」を詠んだ美しい歌も定家はおそらく何度も口ずさみ、情景を想像しながら深く味わっていたのではないでしょうか。


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