ホーム>文化>小倉百人一首について>88.難波江の 芦のかりねの 一夜(ひとよ)ゆゑ 身を尽くしてや 恋ひわたるべき 皇嘉門院別当
小倉百人一首の八十八首目は皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)の歌です。皇嘉門院別当は平安時代末期に崇徳院の中宮である皇嘉門院聖子に仕えていた女官でした。生没年は不明ですが、仕えていた皇嘉門院聖子が没する前年には出家していたそうです。和歌では、皇嘉門院聖子の弟である九条兼実(くじょうかねざね)の歌会によく出ていたそうです。この歌は、一夜限りのはかない契りのために生涯をかけて恋し続ける、女性の切ない気持ちを詠んだものです。
歌の解釈としてはおおよそ、「難波の入り江に生い茂っている芦の刈り取った根の一節(ひとよ)のような、短い一夜(ひとよ)の仮寝(かりね)のために、我が身を尽くして恋し続けなくてはならないのでしょうか」です。恋い焦がれた末に契りを結ぶことができたとしても、たった一夜限りで、それが済んだらもう男性は通ってきてくれなくなってしまう。そんなにあっという間に関係が終わってしまうのでは、一体何のために身を尽くしてまで恋をしてきたのだろうか。そんな女性の切ない、恨めしいような気持ちが伝わってくる歌です。
この歌は、一夜限りの恋という題で詠んだものだそうです。一夜限りというのは、皇嘉門院別当にとってはあまりうれしくないお題だったのかもしれません。それがゆえにこの歌には少々なじるような、恨むような女性の気持ちがこもっているような気がします。
藤原定家は皇嘉門院別当のこの歌を百人一首の八十八首目に選びました。とても味わい深く、言葉がけなど高度な技巧が凝らされていて評価が高く、百人一首に選ばれるにふさわしい歌だと思います。また、つらく苦しい恋の歌は、定家が好むところでもあります。でもそれだけでなく、崇徳院への鎮魂の歌のひとつとして定家は崇徳天皇の中宮に仕えていた皇嘉門院別当の歌を選んだ、と解釈することもできるかもしれません。