TamatsuLab

ホーム文化小倉百人一首について>9.花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに  小野小町

9.花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに  小野小町

小倉百人一首の九首目は小野小町の歌です。小野小町は平安時代初期の女流歌人で六歌仙のひとりです。若いころは美女としてもてはやされ大人気だったそうです。しかし高齢になると容色が衰え、落ちぶれてみすぼらしい暮らしをしていたといわれています。これは、年寄りになり容色の衰えた小町自身を短い花のいのちにたとえて嘆きつつ詠んだ歌とされています。

9.花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに  小野小町

歌の解釈としてはおおよそ、「美しい花の色は長雨が降る間にもう色あせてしまった。わたしももの思いをしているうちにちょうど花と同じように衰えてしまった」です。これは美しく咲き誇っていた桜の花の色が衰えていった様子を見て詠んだ歌と解釈されます。もしかしたら小野小町は花を見ているのでなく、自分自身の姿を見て詠んだのかもしれません。
小野小町は絶世の美女と名高い、伝説の女性です。かつてはその美人の噂に人気が高まり、彼女に言い寄ってくる殿方も多かったようです。小野小町の美女伝説は今でも生きていて、「なんとか小町」といえば評判の良い美女のことをいうことが多いです。
しかし、そんな絶世の美女である小野小町も、年月による容色の衰えには勝てません。皺が寄り、髪が白くなり、腰が曲がり、歯が抜けてくると、言い寄ってくる殿方もいなくなります。
昔はちやほやされたかつての美女が、衰えてしまった今はだれも見向きをしてくれなくなった。そんな小町の嘆きが聞こえてくるような歌ですね。
藤原定家は小野小町の歌の中でも、この歌を小倉百人一首に選びました。美しく咲き誇る桜の花も時がたてば散ってしまうように、たとえ絶世の美人といえども時が経てば衰えてしまう。そんな小野小町の嘆きに藤原定家は深く共感したのかもしれません。もしかしたら、この歌に藤原家や定家自身の運命が映し出されて見えていたのかもしれません。


△小倉百人一首についてに戻る

ページのトップへ戻る